2009/07/24

メシアン「世の終わりの為の四重奏曲」

クラシック音楽の中には多くの「物語」を持った作品があります。モーツァルトの「レクイエム」やベートーヴェンの「第九」、ストラヴィンスキーの「春の祭典」などにまつわるエピソードは、誰もがすぐに思い当たるのではないでしょうか。そんな数かぎりないエピソードのなかでも、メシアンの「世の終わりの為の四重奏曲」が持つ逸話は、特に有名なもののひとつに挙げられます。

「世の終わりの為の四重奏曲 Quatuor pour la fin du Temps」(1941) は、フランスの作曲家オリヴィエ・メシアン(1908−1992)の代表作であるとともに、20世紀の室内楽においても最もポピュラーな作品のひとつと言えるでしょう。敬虔なカトリックだったメシアンが、ヨハネの黙示録に想を得て作曲した作品です。編成はヴァイオリン・クラリネット・チェロ・ピアノで、作品を構成する8つの楽章のうち、4曲が四重奏のために書かれ、残りは4つの楽器の組み合わせによる独奏〜三重奏という変則的な形をとります。すでに独自の理論と作風を示していたメシアンが、自らの音楽語法(リズム・旋法論、鳥の歌)を確立し、それを自在かつ魅惑的な音色で表現した傑作です。翌1942年に着手され、1944年に上梓されたメシアンの理論書「わが音楽語法 Technique de mon langage musical」においてもこの作品から多くの譜例が採られており、メシアン自身この作品を重視していたことが分かります。


1. 水晶の典礼 Liturgie de cristal(quartet)

2. 世の終わりを告げる天使のためのヴォカリーズ Vocalise, pour l'Ange qui annonce la fin du Temps(quartet)

3. 鳥たちの深淵 Abîme des oiseaux(cl.)

4. 間奏曲 Intermède(vln, cl, cello)

5. イエスの永遠性への賛歌 Louange à l'Éternité de Jésus(cello, piano)

6. 7つのトランペットのための狂乱の踊り Danse de la fureur, pour les sept trompettes(quartet)

7. 世の終わりを告げる天使のための虹の混乱 Fouillis d'arcs-en-ciel, pour l'Ange qui annonce la fin du Temps(quartet)

8. イエスの不滅性への賛歌 Louange à l'Immortalité de Jésus (vln, piano)


音楽自体の魅力もさることながら、この作品にはドラマティックな背景があり、こちらも音楽と共にひろく知られています。時代ときわめて密接に結びついた作品の成立とその劇的な初演のエピソードは、クラシック音楽の長い歴史のなかでも特殊なものと言えるでしょう。それはおよそ以下のような内容です。

第二次世界大戦中の1940年、ドイツ軍の捕虜となったメシアンは、ドイツのゲルリッツ(都市の一部は現在ポーランドに帰属)にある収容所「Stalag VIII A」へと送られ、そこで自分と同じ音楽家の捕虜たちと出会います。彼らはそれぞれクラリネット、ヴァイオリン、チェロの演奏家でした。飢餓と劣悪な環境、冬は零下20度を越す寒さという極限の状況のなかでメシアンはこの作品を書き上げ、彼らとともに収容所内のバラックにて初演します。演奏会には数千人の捕虜たちが集まり、初演は大成功を収めました。
のちにメシアンはこのときの演奏を振り返って、次のように語っています*1。

彼らは私にピアノを与えてくれた、だが神よ、それは何というピアノだっただろう!そのピアノの鍵盤は一旦押すと戻ってこなかった。もし私がトリルを弾こうとでもすれば、すぐに音は止まってしまい、先を続けるためにはそれぞれの鍵盤を押し上げてやらねばならなかった。ヴァイオリンはほぼ問題なかったが、チェロにおいては、悲しいかな、3本しか弦がなかった。幸いなことにシャントレル*2 と最低弦は残っていたから私たちは演奏することができたが、第2弦か第3弦(どちらかはもう覚えていないが)は欠けていた。結局のところパスキエ*3 は素晴らしい演奏家だったので、私たちはすっかり上手くやることができたんだ。さてクラリネットは、また別の問題を抱えていた。クラリネットの側面に幾つかキーがあるのを知っているでしょう?そのうちのひとつが、ストーブの近くに楽器が放置されていたために溶けてしまったんだ。哀れなクラリネッティスト!私たちはこんなおぞましい楽器で演奏したわけだが、請け合ってもいいがね、聴衆は誰ひとりとして笑おうとはしなかったよ。私たちはこんなにも恵まれていなかったのに、それにも関わらずその日の演奏は本当に素晴らしい出来だった・・

メシアンの言葉によって、作品は伝説となります。有史以来もっとも過酷な戦争の時代に、収容所という非人間的な環境にありながら、あらゆる困難をも乗り越え音楽の持つ力と人間の精神の勝利を謳ったこの初演の物語は、多くの人々に強い感銘を与えてきました。この作品が20世紀の音楽史において特異な位置を占めている所以です。しかし、実はこの物語には少しの「脚色」がありました。

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2003年に出版された「For the End of Time: The Story of the Messiaen Quartet」は、この作品の成立を追ったドキュメンタリーです。著者のレベッカ・リシン Rebecca Rischinはアメリカの音楽学者で、国際コンクールの受賞歴もあるすぐれたクラリネット奏者でもあります。彼女は初演に携わった演奏家や関係者たちへのインタビュー、膨大な資料の裏付けによって、作品ができあがっていく経緯、また初演後の作品と演奏者たちがたどった運命を克明に描き出しました。その結果、物語には幾つかの修正が加わることになります。

・メシアンがクラリネット奏者、チェロ奏者とすでにほかの場所で知り合っていたこと
・全ての作品が収容所で書かれたわけではないこと

1940年5月、ドイツがベルギー・オランダ・ルクセンブルクへの侵攻を開始したとき、メシアンはフランス北東部の都市ヴェルダンの要塞にいました。そこには軍楽隊が組織されており、そこでメシアンはのちに一緒に四重奏曲を初演することになるふたりの演奏家、チェロのパスキエとクラリネットのアンリ・アコカ Henri Akoka に出会います。すぐに親しくなった彼らは、翌6月のドイツ軍によるフランス侵攻によって捕虜となった後も、行動を共にすることになります。彼らはドイツへと移送される前にナンシー近郊のキャンプにしばらく拘留されますが、そこでメシアンは唯一彼らの手元に残されていた楽器、クラリネットのために作品を書き上げました。こうして出来上がったのが「鳥たちの深淵」で、これはのちに四重奏の第3楽章になります。「世の終わり〜」の一部は、すでにこの時点でできあがっていたのです。
そのほか、第5楽章「イエスの永遠性への賛歌」と第8楽章「イエスの不滅性への賛歌」は、それぞれオンド・マルトノ六重奏のための「美しき水の祭典 La Fête de belles eaux」(1937)、オルガン曲「二枚折り絵 Diptyque」(1930) の一部を元に書き改められたものであることが判っています。

・収容所での生活について

さらにリシンは他の捕虜たちの証言を通して、ゲルリッツでの過酷きわまる生活のイメージを修正してみせます。収容所の中には劇場、一万冊の蔵書を持つ図書館、大きな運動場などが設けられ、囚人たちによるオーケストラやジャズ・バンドの定期的な演奏会、展覧会なども行われていたそうです。長いドイツ音楽の伝統を持つナチス・ドイツの兵士たちは音楽家たちに常に敬意を持って接し、食料や燃料の配給でも他の捕虜たちより優遇していました。すでにドイツでも高く評価されていたメシアンにいたっては、収容所内のすべての労働を免除され、落ち着いた環境で作曲に集中できるよう細心の注意が払われていたのです。
もちろんこれらは生活の一部分に過ぎず、多少の環境が整備されただけで捕囚生活が快適であろう筈はありません。メシアン自身、ほかの多くの捕虜たちのようにひどい栄養失調に苦しんでいます。この音楽家たちへの厚遇自体も、ナチスが捕虜を正当かつ人道的に扱っているというアピールに利用するためでもありました(赤十字の視察の際には常に音楽家たちのバラックが案内されたそうです)。

・初演

メシアン自身が語った初演のエピソードも、すこし誇張されたものでした。メシアンが使用したピアノは普段から劇場で演奏されていたもので、もちろん完璧な状態ではなかったにせよ、そこまでひどい状態で放置されていたのかは疑問です。また、キーが溶けるほどの熱を与えられたクラリネットが、ひとつのキー以外は被害を受けなかったと考えるのには少々無理があります。なおチェリストのパスキエは、ゲルリッツの楽器店で楽器を購入した際に弓とともに4本の弦も購入しており、それはメシアンも知っていたと証言しています。いわく「もしメシアンがチェロを弾いたことがあるなら、あの曲を弦3本で演奏するのが不可能なことがわかるだろう」。「全部で5000人はいた*」とメシアンが証言した聴衆の数も、他の証言や残された資料から実際には400人程度であったようです。

余談ですが、それぞれの楽器がもつ問題の深刻さが演奏家の知名度と比例しているように見えるのも、筆者には興味深く思われます。一番大きな問題を抱えていたのはメシアンと名チェリストのパスキエ、キーがひとつ欠けたクラリネットのアコカはその後ラジオのオーケストラで活動、特に問題のなかったヴァイオリンのル・ブ レールは、終戦後プロの演奏家になることをあきらめ、俳優へと転職してしまいます*4 。やや意地の悪い言い方ですが、こういったエピソードはそれが有名人に関するものであるほど印象的であるのは 言うまでもありません。

では、メシアンはなぜこんな偽りの証言をしたのでしょうか?パスキエ自身も推察しているように、初演があらゆる障害に打ち克って大成功を収めたことを強調することで、この作品の伝説により価値を与えるためだと考えるのが妥当と思われます。絶望的な戦争の時代―まさに黙示録的な終末の世界―にあって、音楽と人間性の勝利を証明したこの初演の「奇跡」を、多少誇張してでもひろく示したいと願う欲求を責めることは誰にもできませんし、極限状態での体験の強烈さによって、彼の記憶の中で多少の修正がなされていたとしても驚くにはあたりません(例えば聴衆の数など)。事実、演奏会は「極度の集中」と張り詰めた静寂のなかで聴かれました。多くの捕虜たちがこの時の体験を大切に記憶にとどめ、のちにその思い出を深い感動とともに振り返っています。

著者のリシンにも、真実を明らかにすることによってメシアンを咎める意図は毛頭ありません。彼女の文章は作曲家と作品に対する深い愛情に貫かれ、この作品に関わったすべての人々への敬意に満ちています。初演に携わった4人の音楽家をはじめ、物語に登場するほとんどの人物が世を去ったいま、本書はこの20世紀を代表する室内楽曲の誕生と、また同時に第二次世界大戦という過酷な時代を生きた音楽家たちの生きた証言を知るうえで、きわめて貴重な資料と言えるでしょう。

そして彼女の労作は、私たちにもうひとつとても大切なことを教えてくれています。それは一度形づくられたイメージの強固さと、そのイメージにとらわれずに作品それ自体と向き合うことの難しさです。人はごくありふれた真実よりも、もっともらしいフィクションの方により強いリアリティを感じるものです。これはあらゆる事柄に当てはまる真理で、もちろん芸術も例外ではありません。事実、パスキエがはっきりと断言しているにも関わらず(おそらく彼はこれまでに何度となく同じ質問を受けたでしょう)、いまだに「三本弦のチェロ」の物語はひろく信じられているままです。
これは作品を聴く側にも演奏する側にも当てはまることですが、楽曲の(ときにつくられた)イメージや根拠のない慣習は、ときとして「音楽」そのものを見る目を曇らせるおそれがあります。未知の音楽の世界への入口を広げるために「物語」はきわめて大きな役割を果たしますが、一度その世界に入ったあとでは、もはや物語は音楽の不可欠な要素ではありません。作曲家や作品の周りを囲むイメージや先入観を捨て、可能なかぎり無垢な耳で音楽に耳を傾けるように努めてこそ、時を隔ててなお彼らが思い描いた本来の「音」を聴くことができるのではないでしょうか。

脚注
* 1 Leo Samama, "Entretien avec Olivier Messiaen"からの引用、対談はフィルム "Messiaen: Quartet for the end of Time" (dir. Astrid Wortelboer)に収録。
*2 chanterelle:「歌弦」の意味で、有棹楽器の最高弦を指す(「新音楽辞典」音楽之友社)。
*3 エティエンヌ・パスキエ Etienne Pasquier (1905-97)は、フランスのチェロ奏者。二人の兄弟 ジャン Jean(vln)、ピエール Pierre(viola) とともにTrio Pasquierを結成し、ひろくヨーロッパで活躍。マルグリット・ロンやジャン=ピエール・ランパルらと共演し、ミヨーやジョリヴェなど、多くの作品の初演も手がけています。
*4 ふとしたきっかけで俳優として活動することになったヴァイオリニストのジャン・ル・ブレール Jean Le Boulaire (Jean Lanierに改名)は、その後舞台を中心に活躍し、何本かの映画にも出演しました。フランス映画の金字塔、マルセル・カルネの「天井桟敷の人々 Les Enfants du pardis」にも
端役ながら出演しているそうです。人間の運命の不思議さを思わずにはいられません。

なお、本書は現在アルファベータ社から日本語訳が出版されています(邦題:時の終わりへ メシアンカルテットの物語)。筆者が参照したのは仏語訳版「Et Messiaen composa... Genèse du Quatuor pour la fin du Temps」で、日本語版は未確認です。内容の異同や稚拙な訳文はご容赦下さい。
「世の終わりの為の四重奏曲」には多くの録音がありますが、ここではピーター・ゼルキンを中心に
この曲を演奏する為に結成されたアンサンブル「タッシ」の録音(B00005EGKZ)、チョン・ミュンフン、ギル・シャハム、ポール・メイエらによるグラモフォンへの録音(B00005FJ72)の新旧二つの録音を挙げておきます。

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