2009/10/04

音の“あいだ”

古典落語の演目に、「搗屋幸兵衛(つきやこうべえ)」という噺があります。何かにつけて小言を言わずにはいられない幸兵衛という家主(いえぬし)と、貸家の札を見てその幸兵衛のもとにやってきた搗米屋(自ら米を精米して売る米屋さんのこと)の男とのやりとりが主な聴きどころですが、その噺の中に、搗米屋が唄をうたいながら仕事をする光景の描写が出てきます。こんな唄です。

鐘が鳴るのかヨ〜 鐘木(しゅもく)が鳴るかヨ〜 ズシン!(*杵が米を搗く音) 
鐘と鐘木のヨ〜 ”アイ” が〜鳴ル〜 ズシン!
  
一見素朴なこの作業唄は、何気ない言葉で、音のもつ不思議さをうまく掴んでいます。鐘にしても鐘木にしても、それぞれがただそこにあるだけでは、決して音は響きません。では音はどこから鳴っているのか?どうも音はそのアイ(間)にあるようだ。いや上手いことを言ったものです。

同じような感触を持った言葉に、禅の公案で「隻手音声(せきしゅおんじょう)」と呼ばれているものがあります。「両掌(りょうしょう)相打って音声(おんじょう)あり。しからば隻手(せきしゅ)に何の音声かある」という公案で、「両方の手を打ったら音がするが、では片手の音はどういうものなのか」というような意味になります*1。こちらは禅の公案ですから、言葉は単なるきっかけに過ぎないのかもしれませんが、これをそのまま音についての問いと受け取っても、なかなか興味深いものに映ります。ここでも音は、右手と左手どちらにあるわけでもありません。とりあえずはその両手の(あるいは手と空間の)あいだにある、と言っておくしかなさそうです。
 
現象としての音を物理的に説明しようとすれば、事態はもう少しはっきりするでしょうか。先ほどの鐘の例をとるなら、鐘木を通じて外から与えられた力が、鐘の構造を一定の周期(これを固有振動数といい、一秒あたりの振動の数(Hz)が音高を決定します)で震わせ、その振動が音波として空気中に伝播していく、というのがその大まかな記述になります。しかし、これだけではまだ「音」とは言えません。空気中を伝わってきたその音波が私たちの耳まで届き、聴覚を通して変換されることによってはじめて、それがある固有の音高・音色を持ったひとつの音と認識されるのです。しばらく前に「モスキート音」という、年を取ると聴こえなくなる蚊の羽音のような超高周波数の音を利用した商品が話題になりましたね。これも学生たちにとってはひとつの音ですが、それが聴こえない教師にとっては、どうも「音」とは言えそうもありません。かといって、音は我々の頭の中にだけ存在している、と言い切ってしまうのにも抵抗があります。・・ここでも筆者は、空間におけるそれぞれの関係のなかに音の正体を見出したい誘惑に駆られます。聴覚と脳の、音波と媒質の、そして鐘と鐘木の”あいだ” ―。
しかし音の問題にはまだ、時間というもうひとつの大きな「間」が控えています。

哲学者の大森荘蔵氏は、その著作の中で時間の経過を表す比喩を、「光陰矢のごとし」ではなく「光陰音のごとし」にしてはどうかと提案しています*2。たしかにどうしても言葉をすり抜けてしまうような時間の性質は、ある到達点に向かって飛ぶ矢よりも、どこか曖昧で捉えどころのない音の姿に似ているようですね。そしてその音の知覚の側には、時間とのきわめて密接な関係があります。


ドイツの作曲家シュトックハウゼン(Karlheinz Stockhausen 1928-2007)は、この音(サウンド)と時間の関係に深く切り込んだ最初の作曲家のひとりです。音の高さだけではなく、音の長さや強さといった音楽のあらゆる要素を「セリー série 」とよばれるスケールによって操作することを目指した、第二次大戦後の「トータルセリアリズム(総音列主義)」音楽の旗手であったシュトックハウゼンは、その探求の帰結として当時生まれたばかりの電子音楽にたどり着きます。音色自体をセリーに基づいて正弦波から人工的に合成でき、かつ人の手では演奏不可能な書法をも正確に再現できるこの電子音楽という手段なら、完全に純粋なトータルセリアリズムが実現できると彼は考えたのです。ところが、実際にスタジオでシュトックハウゼンが遭遇したのは、純粋さとはおよそかけ離れた音の内部に畳み込まれていた「カオス」でした。彼は作曲家の友人へ宛てた手紙に、こう記しています。

「たったひとつの音の中に何というゴチャゴチャしたカオスがひそんでいることか、信じられないほどだ!」(1952年12月13日、カレル・フイファールツ宛)

身の回りのあらゆる音を録音して分析する、あるいは発振器やフィルターを用いてサウンドを合成する―実験を重ねていくうちにシュトックハウゼンは、我々が普段使っている音の単位というものが、実はひとつの連続したプロセスであることに気づきます。
たとえばここにピンポン球がひとつあって、これをある高さからテーブルの上へ落下させると考えてみてください。落ちてきた球はまず「コーン、コーン」と大きなバウンドを繰り返したあと、徐々に「コン、コン」というリズムを刻み出し、そのリズムはやがて「コッコッ」「コココ・・・」という具合に圧縮されていって、最終的には「コオオオ」「コーーーー」というある一定の音色を持った音高へと収斂していきます。リズムを生み出していたピンポン球の運動が、いつの間にか音高の領域へと移動しているのです。つまり、「律動」と「音高・音色」という、音楽の分野で全く別の種類のものと考えられている領域も、実は同じ領域の異なるスケールであって、あるひとつの時間の伸縮を我々の耳が分割して知覚しているに過ぎないのです。
反対に、あるひとつの音の周期を「コーーーン、コーーーーーン」という具合にどんどん引き延ばしていくと、ここでもまた違った発見があります。周期一秒と二秒の差は一秒であり、周期十一秒と十二秒の差も同じ一秒ですが、前者の差を私たちは相対的に大きく感じますし、後者の差はほとんど知覚できません。つまり私たちは、音の持続を差によってではなく比によって知覚しているのです(1:2は11:12よりはるかに大きな比率になります)。音高の表現を借りるなら、「絶対<時>感」などというものは存在せず、自らの生理的な感覚を基準とする「相対<時>感」だけが存在しているというわけです。
シュトックハウゼンはこれを「時間連続体」または「音楽的時間の統一性」とよばれる理論にまとめ、その理論を音楽に翻訳する形で作品を生み出していきます。つまり音色というミクロの時間と、リズムや楽節、形式にまでいたる様々なマクロの時間の形態をこの「時間連続体」において結合し、これらの異なるレベルすべてを、相似的な原理に基づいて作曲しようと試みたわけです。彼の代表作のひとつである、3群のオーケストラのための「グルッペン」(1955-1957)では、八分音符や十六分音符といった単純な音価ではあらわせない音の長さのセリー(持続の半音階)を実現するために、3人の指揮者によってそれぞれのオーケストラに異なるテンポが与えられています。

音について考えることは、同時に我々がどのように時間を認識しているのかについて考えることでもあります。シュトックハウゼンはその講演の中で、ドイツの生物学者ヴァイツゼッカー*3の言葉を引いて、次のように述べています。
「伝統的な概念において、事象は時間に存在し、新しい概念においては、時間は事象に存在する。」
この「事象に存在する時間」というものに思いを馳せるとき、音を聴くという行為は、その思索の格好の出発点になるのではないでしょうか。


参考資料
K・シュトックハウゼン「電子音楽の四つの特徴」(ユリイカ1998年3月号 特集:解体する[音楽] 青土社)
K・シュトックハウゼン「・・・いかに時は過ぎるか・・・」(シュトックハウゼン音楽論集 清水穣 訳 エートル叢書) 
「サントリーサマーフェスティバル2009 特別演奏会<グルッペン>プログラムノート」清水穣

脚注
*1 松岡正剛「千夜千冊 第1175夜: 無門慧開「無門関」」(web)
*2 大森荘蔵「流れとよどみ―哲学断章」産業図書
*3 ヴァイツゼッカー
(Viktor von Weizsacker 1886-1957)は、ドイツの生物学者。哲学や生理学を横断した、より総合的な医学的人間学を構想する。邦訳に「ゲシュタルトクライス」(みすず書房)など。


シュトックハウゼンの思考の軌跡は、「シュトックハウゼン音楽論集」という本でたどることができます。作曲家本人とも親交があった清水穣さんという方の翻訳で、原語以外では殆ど読むことのできない貴重なものです。とりとめもなく書き連ねてしまいましたが、これらの断片が「音」というものについて考える、ささやかなきっかけになればと思います。
なお落語の「搗屋幸兵衛」は、もともと「小言幸兵衛」という噺の一部でしたが、全体としてあまりに長くまた一貫性に欠けることから現在はふたつの噺に分かれ、前半が「搗屋幸兵衛」、後半が「小言(または道行)幸兵衛」という形におさまりました。多くの噺家が高座にかけた「小言〜」に対し、こちらの「搗屋〜」は古今亭志ん生系の演者さんだけが持ちネタにしていたようで、筆者が参照しているのは志ん生師匠の次男、三代目古今亭志ん朝の録音です。ここでも志ん朝師匠の華やかな語りのリズムと緻密な人間描写は健在で、一見嫌みなようでいながらどこか憎めない幸兵衛の人柄を見事に表現しています。って完全に話がずれてますね。あまりお後はよろしくありませんが、この辺でお暇を頂戴致します(_ _)



2009/09/27

ウェーベルン「ピアノのための変奏曲」

19世紀の後半から、ワーグナーやドビュッシーなどの作曲家たちによって推し進められた、半音階的な書法と変位和音の多用による和声語法の複雑化は、20世紀初頭にはついに機能和声による調性音楽というシステムそのものを崩壊せしめるに至ります。200年以上にわたる西洋音楽の発展の根幹であったこの調性システムとの訣別を選んだ作曲家たちは、それぞれの方法で機能和声調性によらない音楽(「無調の音楽 atonal music 」ともよばれます)の在り方を模索することになります。この1910年〜20年代の無調音楽への探求のすぐれた成果は、主にストラヴィンスキーやバルトーク、ヒンデミットなどの作品の中に結実しています。そして、すでに1910年代からその萌芽が見られた技法、「十二音技法」がオーストリアの作曲家シェーンベルク(Arnold Schönberg 1874-1951 )により1921年に体系化されたことで、西洋音楽の歴史は新たな局面を迎えることになります。

十二音技法とは、1オクターブに含まれる12の半音をすべて均等に扱おうとする作曲法で、多くの場合これら12の音をある特定の順序に配列した「セリー série」とよばれる音の列が楽曲の基礎になります。この技法の確立によって、作曲家たちは調性音楽の前提である主音を頂点とした音程・ハーモニーの階層構造をしりぞけながら、同時に無調音楽の課題とされていた楽曲全体の統一を獲得することができるようになりました。今回はその技法を用いて作曲した代表的な作曲家のひとり、アントン・ウェーベルン(Anton (von) Webern 1883-1945)の「ピアノのための変奏曲 Variationen für Klavier op.27」を取り上げ、十二音音楽の仕組みについても少し触れてみたいと思います。

ウェーベルンの作品は、その極端にみじかい時間の中に凝縮された緊密な構成と、形式の美しい均衡をその特徴としています。1925年に書かれた「3つの宗教的民謡 Drei geistliche Volkslieder op.17」から楽曲全体を十二音技法で作曲するようになり、やがてその運用法において自らの師でもある十二音技法の考案者、シェーンベルクとは異なった独自の作風を確立しました。生前はほとんど顧みられることのなかったウェーベルンの音楽ですが、第二次大戦後はピエール・ブーレーズら若い世代の作曲家たちによって再評価され、その作品は20世紀後半の西洋音楽の新たな出発点として、きわめて重要な意味を持つことになります。

この「ピアノのための変奏曲」はウェーベルンにとって作品番号が付された唯一のピアノ・ソロ曲で、3つの楽章で構成されています。外見は I.ソナタ形式・II.二部形式・III.主題と変奏という体裁をとりますが、根底に横たわるのはあくまでもひとつのセリー(音列)に基づく構造であり、この3つの楽章自体が「伝統的形式の十二音技法による変奏」であるという言い方もできるかもしれません。

この作品の最大の特徴は、そのシンメトリックな構造にあります。音程関係や音型の鏡像形があらゆる階層で楽曲の構造を担っており、同時にこの曲が持つ音楽の独特な表情の元にもなっています。形式の美と整合性に常に細心の注意を払った、ウェーベルンならではの十二音技法の典型的な実例のひとつと言えるでしょう。上の譜例は、音型の鏡像形を至る所に用いた第一楽章から冒頭の7小節を抜き出したものです。上下の五線に6音ずつ配されたセリーが、4小節目のGisを境にしてきれいに反転しているのがお分かりいただけるかと思います。
ちなみにこの作品が完成された1936年には、バルトークの代表作の一つである「弦楽器・打楽器とチェレスタのための音楽」が作曲されています。この作品の中でバルトークは、一つの音程を軸とするシンメトリックな対位法を用いており、ウェーベルンの試みが単なる個人的な関心ではなく、問題意識を持った作曲家たちへの、必然的な時代の要請でもあったことが分かります。以下の譜例は第一楽章の最後の部分で、第1・第2ヴァイオリンの間に、Aの音を軸にした対称形が現れています。



ここからは「ピアノのための変奏曲」から第二楽章を取り出して、少し詳しく見ていきたいと思います。機能和声というきわめて強い求心力を持った体系を放棄した十二音技法の作曲家たちは、楽曲の構成上・聴覚上の統一感を維持するために、様々な技法をその音楽の中に持ち込みました。ウェーベルンはこの第二楽章の構成にカノンの技法を援用しています。カノンとはひとつの声部にあらわれる主題が、他の声部によってある一定の時間的間隔を置いて模倣される形式のことで、ウェーベルンが好んで用いた書法のひとつでもあります。










譜例1は冒頭の6小節を抜き出したものです。上下の五線にそれぞれひとつずつセリーが進行するように書かれており、左手ではじまったセリーαは、常に八分音符ひとつ分だけ遅れて奏される右手のセリーβによって正確に応答されます。セリーのそれぞれの音のあいだに休符が挟まれているため、結果的に先行するセリーαと模倣するセリーβのふたつの音が対になって、ひとつのリズム(♫)を形成しているように聞こえます。
このふたつのセリーの関係は、八分音符ひとつ分の間隔を持った「転回カノン」の形をとっています。これは、主題となる声部が反行形(音程関係を反転した形)で模倣されるカノンのことです。カノンの適用は主題の音程関係にとどまらず、音の強弱やアーティキュレーション、ニュアンスに至るまで常に厳格な模倣が為されており、ウェーベルンの十二音技法の特徴のひとつである、音高以外のパラメータもセリーのように組織的に扱おうとする意図がうかがわれます。

途中に二度の五線の交替を経たあと(ふたつのセリーが互いの五線を交替するのに伴って、リズムも左手→右手から右手→左手、という具合に順序が逆転します)、6小節目のフォルティッシモの音符の前の装飾音で一組目のセリーの提示が終わります。この音符までにそれぞれの五線に音が12個ずつ登場しているのが見て取れると思います。たとえ大きな跳躍がある場合でも、ひとつの音列は原則として同じ五線上に書かれているため、シンプルな楽譜の印象に反し、演奏家には両手をめまぐるしく交差させるアクロバティックな技巧が要求される音楽です。

アウフタクトのあと、第一小節目のふたつのAの音に注目してみてください。このAは第二楽章のハーモニーの軸となる音で、また曲の構成を理解する鍵でもあります。その存在を明確にするためにこのAは常に2回続けて奏され、音域・ニュアンス(p)・アーティキュレーション(スタッカート)とも楽章全体を通して一切変化しません。そして、それ以外のカノンを形成するふたつの対になる音は、いつも中心のAに対して同じ距離(音程間隔)を保っています。例えば、冒頭アウフタクトのBとGisは真ん中のAから上下にそれぞれ短9度(1オクターブ+短2度)の距離にあり、第2小節目のCisとFは短6度の距離といった具合です(譜例2。数字は音程のあいだの半音の数、プラスマイナスはそれぞれ上行下行を表しています)。

この関係は楽章全体を通して維持されており、先行するセリーαが中心音Aから近づいても離れても、応答するセリーβは常にその分だけAとの距離を変化させ、対になるふたつの音符からAまでの距離は、常にまったくのイコール、完璧な対称形が保たれています。なお、先ほど引用したバルトークの譜例でもこの同じAの音が中心軸に選ばれていたのは、興味深い符合です。
断っておきますが、ウェーベルンはこれらの音程を中心音から等しい距離になるよう、その場に応じて恣意的に選んでいるわけではありません。あらかじめ決定された音列はただ一音ずつ順番に進んでいくだけで、途中で作曲家によるいかなる操作も加えられていません。では、なぜこれほどまでに見事なシンメトリーが実現されているのでしょうか?ここには音列の基本形と反行形の間に生まれる特徴的な性質を巧みに利用した、ウェーベルンの創意と周到な戦略をみることができます。
(以下、点線のあいだはやや込み入った説明になりますので、読みとばしていただいてもかまいません)

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例として、ここにあるひとつのセリーPと、その反行形Iがあると考えてみてください。反行形Iは、Pの音程関係を第1音の位置に鏡を水平に置いて反転させたものですので、ここにGを軸とする対称形が現れます(譜例3。数字と記号は第1音Gからの半音の数を示しています)。
軸となる音からふたつのセリーの○番目にあるそれぞれの音までの距離は、どのペアをとっても常に等しくなっているのが分かると思います。

このふたつのセリーを一音ずつ辿っていくと、第1音のほかに、一度だけ同じ順番で現れる音がありますね。それは軸となる音Gからの距離が、関係を反転させても常に変化しない音程、増4度の位置にある音(譜例では5番目の音Cis)です。このCisに対しても、ふたつのセリーの同じ順番にある音からの距離は常に等しくなっています(譜例4。Cisからの距離は赤字で表記)。



つまり一組の基本形と反行形のペアには、いつも対称形の軸となる音がふたつあるということですね。この軸音は常にふたつの音列の同じ順番で現れ、この関係は当然ながら、音列がどの順番の音からはじまると仮定してみても変化しません。つまり、いかなる基本形と反行形の組み合わせでも(同じ音から始まらなくても)それぞれの音列の○番目の音から等しい距離にあるふたつの軸音は、常に音列中の同じ順番に現れるということです。

ウェーベルンはこの楽章で使用されている4組の音列を、すべてAの音が軸音となる基本形と反行形の組み合わせの中から選んでいます。これで何の操作を加えなくても、常にAの音が対になって現れるようになるわけですね。また、どのふたつの音のペアにおいてもAとの距離は等しく保たれているわけですから、あとは音域に配慮をしてAを中心とした対称形を維持できるようにすればよいわけです。
どんな音列をつくっても必ず現れる対称形という普遍的な法則を用いながら、中心音からシンメトリックに配置されたそれぞれの音高にカノンのリズム、強弱、ニュアンスを巧みに組み合わせることで、音楽が単調な音列の羅列に陥ることを回避しています。構成の美しさと音楽的な表現力とが、わずか数十秒の時間の中にあたかも結晶のように結びついた、ウェーベルンならではの高度な書法を学ぶ格好の教科書と言えましょう。


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鏡像形やカノンを巧みに用いた美しいプロポーション、簡素な譜面の内に豊かな音楽の表情を織り込んだ、この小さな変奏曲に魅せられたピアニストは少なくありません。1964年のグレン・グールドの演奏(こちらは映像も残っています)を嚆矢として、1978年のマウリツィオ・ポリーニ、最近では内田光子やクリスティアン・ツィマーマンといった名手たちの録音を聴くことができます。なかでもポリーニの録音(B00005Q7QZ)は、他にストラヴィンスキー「ペトルーシュカからの3楽章」(バレエ音楽からの作曲家自身による編曲版)、プロコフィエフ「ピアノソナタ第7番」、ブーレーズ「ピアノソナタ第2番」という20世紀の重要なピアノ作品を収めたもので、明晰なアプローチのもとに、技巧的なパッセージでも細部の輪郭を見事に弾き分ける、ポリーニの正確無比なテクニックが冴えわたる名盤です。

ウェーベルンの作品は、きらびやかな装飾や饒舌な語り口とは無縁の、つぶやくような音響の断片と沈黙に満ちた音楽です。そのどこまでもストイックな作風は、調性音楽が持つ華やかな音響の世界に慣れてしまった耳には、余りに素っ気のない、冷たい音楽と受け取られてしまう危険性を孕んでいることは否めません。しかしウェーベルンの関心は、ただ音を知的な操作によって支配することにではなく、その選び抜かれた最小の要素によってどれだけ豊かな音楽を表現できるかにありました。彼の一音一音に対する徹底的なこだわりは、その強弱・奏法・音色・ニュアンスについての詳細を極める指示記号に如実に現れており、これらはそれぞれの音に対し彼がいかに鮮明な(或いは情熱的な)イメージを持っていたかを物語っています。

いみじくも彼の前の世代に当たる後期ロマン派の作曲家たちが望んだように、オーケストラの編成を大きくしてあらゆる音のパラメータを増幅させても、必ずしもそれに伴って音楽の表現が拡大し続けるわけではありません。ごくささやかな音楽のなかにでも、音色の微細な変化に感覚を研ぎ澄ませ、僅かな音の身振りの効果を最大限に引き出すことで、大オーケストラのトゥッティにも匹敵する強い表現力を持つことさえあり得るのです(これは演奏についても大いに言えることだと思います)。
音楽という芸術の可能性は、聴衆を圧倒するようなマクロな表現にだけあるのではなく、そのミクロな表現の内にも実に豊饒な世界が広がっていることを、ウェーベルンの音楽は教えてくれます。

参考資料
Kathryn Bailey「The twelve-note music of Anton Webern」(ed. Cambridge university press)
György Ligeti「Neuf Essais sur la musique」(ed. Contrechamps) III. Aspect du langage musical de Webern



2009/08/02

モーツァルト「弦楽四重奏曲第19番 C-dur kv 465《不協和音》」

ウィーン古典派におけるゆっくりとした導入部はその自由な転調を特徴とし、主部の調性を確保しながらもその周りをめぐる近親調への頻繁な移動がみられます。多くの場合、全終止などの明確なカデンツは回避され、引き延ばされた解決の推進力によって主部を導きます(例としてベートーヴェンの有名な「悲愴」ソナタの序奏を思い出してみましょう。冒頭の和音以降、主部のアレグロまで基本形の主和音は一度もあらわれません)。

モーツァルトの弦楽四重奏曲 KV465 は、この導入部の書法において、最も革新的な地平に達した作品のひとつといえるでしょう。先人の与えた《不協和音》という名が、この僅か22小節のアダージョがもたらした衝撃の大きさを物語っています。大胆かつ巧みな半音階的手法で書かれたこのアダージョは、速筆のモーツァルトが2年の歳月を費やした弦楽四重奏曲集―いわゆる「ハイドン・セット」の最後を飾るに相応しい、モーツァルトの円熟した境地を示しています。
(以下ではこのアダージョの断片的な分析を試みたいと思います。曲全体の楽譜をご覧になりたい方は、こちらからダウンロードできます。)


曲はチェロによる主音Cのオスティナートという一見穏健な書法で開始されますが、3拍目のヴィオラの導入ですぐに曲は調性的に不安定な状態に陥ることになります。Asの介入で耳はチェロのCを主音とみなすことが出来なくなり、f-moll(F・As・C)或いはAs-dur(As・C・Es)の主和音の転回形と考えます。2小節目の1拍目、第2ヴァイオリンがEsで和音に加わり、これでAs-durの主和音(もしくは他の機能を持つ同等の構成音)であることが明らかになりました。しかし、耳がひとつの和音を確定させたその次の瞬間、第1ヴァイオリンが突如としてAというAs-durの和音からかけ離れた音程を奏し、調性感は根底から壊されてしまいます。増一度の関係で隣接するふたつの音程(As・A)が続けて何の準備もなく別の声部・音域にあらわれる(和声学では対斜という語で説明されます)響きのぶつかりは著しく、古典派のスタイルではまず見られない書法です。フェティス*1 をはじめとする19世紀の音楽学者たちは、このAをモーツァルトの書き損じと考え、Asへ修正するべきであると主張しました。古典和声をよく聴き知った耳の、ある意味では当然の拒否反応と言えるでしょう。しかしこれはモーツァルトのきわめて明確なプランのもとに書かれた音で、後述する理由によって書き損じ説は斥けられます。



これは冒頭の3小節の和音を一段譜上に表したものです(便宜上オクターブを変えてあります)。3小節目1拍目の倚音を整理すると、主調のV度に当たるG-durのカデンツが浮かびあがります。つまり冒頭の一見不可解にもみえたAsの和音は、G-durのナポリ6度*2 だったというわけです。ここで彼の音楽学者の説を採用して2小節目2拍目のAをAsに修正してしまうと、ナポリの和音の後のII度7・属7とも構成音のAが下方変位されていることになり、G-durのカデンツとしての(ただでさえ薄い)存在感が減って和声的にさらに不安定な状態に陥ってしまいます。また、修正によって2小節目2拍目と3小節目1拍目にGとAsの短2度がぶつかることにもなります(本来のAsとAは同じ瞬間には鳴っていません)。これは対斜に匹敵するほどの濁りがもたらされることを意味し、響きの点でもこの説を支持することはできません。またこの説に従えば、論理的にゼクエンツである6小節目の第1ヴァイオリンのGもGesの書き損じと考えなくてはならず、これは確率的にみてもちょっとあり得ないことのように思われます。


不安定な和声の上で音楽を構築するために、モーツァルトはここでカノンの手法を援用しました。譜例は第1・第2ヴァイオリン、ヴィオラが最初に奏する音型を同時に並べたものです。ヴィオラの音型を第2ヴァイオリンがV度上で、第1ヴァイオリンが2オクターブ上でほぼ忠実に再現しているのが分かりますね。この「ほぼ忠実に」というのがポイントで、お気づきの通り第1ヴァイオリンはモティーフをそのままなぞっているようでいながら、微妙に音程を変化させています。一見繰り返しのようでいながら違う和声、違う到達点を提示されるため、耳が予想する展開と実際の響きのあいだにねじれが生まれ、音楽の高い緊張感を持続することに成功しています。さらにリズムにも一カ所だけ変化が加えられていますね。それは、第1ヴァイオリンの引き延ばされた最初の音―そう、問題になったあのAです。明らかに特異なこの音程を強調しているこの書法が、単なる書き損じなどではないことを何よりも雄弁に語っています。モーツァルトの熟達した書法と推敲の結実を示す、素晴らしい導入部です。

C-durのV度調であるG-durではじまった曲は、その後F-durのゼクエンツを経て9小節目からEs-durに転調します。Es-durはc-mollの平行調ですのでそのまま自然に(カデンツを作らず)c-mollへと到達し、13小節目においてようやく最初の主調におけるカデンツがあらわれます。


13小節目から14小節目へかけて一応全終止の体裁はとっていますが、属7の根音であるチェロが遅れて出てきたり、本来の和声音が倚音・経過音と同じ音価で、まるで半音階の一部であるかのように処理されてるため、カデンツとしての存在感が著しく弱められています。聴いていてもこの和音をもって緊張の弛緩を得ることはなく、完全な形での終止は16小節目まで持ち越されます。ということは実に15小節(演奏で約1分間)ものあいだ、主調の明確な終止を避けながら音楽をすすめてきたことになります。
一旦主調の半終止が現れると曲はそのままV度の保続に入りますが、ここでもドッペル・ドミナント*4 の減7(Fis・A・C・Es)を用いることで限りなくc-mollに近い状態を保たれています。あからさまな主調C-durの表出はアダージョの最後の瞬間まで抑えられており、次の主部のアレグロのシンプルかつ調和した響きとの間に強烈なコントラストが与えられています。「闇から光へ」といった詩的な言葉で表現されてきたこの導入部から主部へ向かう音楽の効果は、きわめて周到かつ高度な書法によって準備されたものでした。

この22小節のアダージョは、和声的には古典派の語法の範疇で完全に説明可能でありながら、半音階と倚音を多用した対位法的な書法、ゆったりとしたテンポを利用した調性感の「仮設」とその裏切り、絶妙の音色の配置(例えば冒頭のAのショックには、他の3音とまるでかけ離れたヴァイオリンのE線の音色が大きく関与しています)によって、全く新しい響きを獲得しています。完成したひとつの体系を外から突き崩すのではなく、その徹底的な深化によって独自の音楽を創り出した、ひとつの理想的範例と言えましょう。

参考資料
György Ligeti「Neuf Essais sur la musique: II.Convention et originarité, La《dissonance》dans le Quatuor à cordes K.465 de Mozart」(ed. Contrechamps)

脚注
*1 François-Joseph Fétis(1784-1871) はベルギー生まれの作曲家、音楽学者。19世紀の最も影響力のある音楽評論家のひとりとされる。
*2 下属音上の短6度、つまり半音低められた第2音(ここではAs)をさす。スカルラッティなどのナポリ楽派によって愛用されたところからきたとされている(「新音楽辞典」音楽之友社)
*3 ある調の属音上のV度のこと。ここではC-durの属音GからみたV度の和音(D・Fis・A)を指す。


2009/07/24

メシアン「世の終わりの為の四重奏曲」

クラシック音楽の中には多くの「物語」を持った作品があります。モーツァルトの「レクイエム」やベートーヴェンの「第九」、ストラヴィンスキーの「春の祭典」などにまつわるエピソードは、誰もがすぐに思い当たるのではないでしょうか。そんな数かぎりないエピソードのなかでも、メシアンの「世の終わりの為の四重奏曲」が持つ逸話は、特に有名なもののひとつに挙げられます。

「世の終わりの為の四重奏曲 Quatuor pour la fin du Temps」(1941) は、フランスの作曲家オリヴィエ・メシアン(1908−1992)の代表作であるとともに、20世紀の室内楽においても最もポピュラーな作品のひとつと言えるでしょう。敬虔なカトリックだったメシアンが、ヨハネの黙示録に想を得て作曲した作品です。編成はヴァイオリン・クラリネット・チェロ・ピアノで、作品を構成する8つの楽章のうち、4曲が四重奏のために書かれ、残りは4つの楽器の組み合わせによる独奏〜三重奏という変則的な形をとります。すでに独自の理論と作風を示していたメシアンが、自らの音楽語法(リズム・旋法論、鳥の歌)を確立し、それを自在かつ魅惑的な音色で表現した傑作です。翌1942年に着手され、1944年に上梓されたメシアンの理論書「わが音楽語法 Technique de mon langage musical」においてもこの作品から多くの譜例が採られており、メシアン自身この作品を重視していたことが分かります。


1. 水晶の典礼 Liturgie de cristal(quartet)

2. 世の終わりを告げる天使のためのヴォカリーズ Vocalise, pour l'Ange qui annonce la fin du Temps(quartet)

3. 鳥たちの深淵 Abîme des oiseaux(cl.)

4. 間奏曲 Intermède(vln, cl, cello)

5. イエスの永遠性への賛歌 Louange à l'Éternité de Jésus(cello, piano)

6. 7つのトランペットのための狂乱の踊り Danse de la fureur, pour les sept trompettes(quartet)

7. 世の終わりを告げる天使のための虹の混乱 Fouillis d'arcs-en-ciel, pour l'Ange qui annonce la fin du Temps(quartet)

8. イエスの不滅性への賛歌 Louange à l'Immortalité de Jésus (vln, piano)


音楽自体の魅力もさることながら、この作品にはドラマティックな背景があり、こちらも音楽と共にひろく知られています。時代ときわめて密接に結びついた作品の成立とその劇的な初演のエピソードは、クラシック音楽の長い歴史のなかでも特殊なものと言えるでしょう。それはおよそ以下のような内容です。

第二次世界大戦中の1940年、ドイツ軍の捕虜となったメシアンは、ドイツのゲルリッツ(都市の一部は現在ポーランドに帰属)にある収容所「Stalag VIII A」へと送られ、そこで自分と同じ音楽家の捕虜たちと出会います。彼らはそれぞれクラリネット、ヴァイオリン、チェロの演奏家でした。飢餓と劣悪な環境、冬は零下20度を越す寒さという極限の状況のなかでメシアンはこの作品を書き上げ、彼らとともに収容所内のバラックにて初演します。演奏会には数千人の捕虜たちが集まり、初演は大成功を収めました。
のちにメシアンはこのときの演奏を振り返って、次のように語っています*1。

彼らは私にピアノを与えてくれた、だが神よ、それは何というピアノだっただろう!そのピアノの鍵盤は一旦押すと戻ってこなかった。もし私がトリルを弾こうとでもすれば、すぐに音は止まってしまい、先を続けるためにはそれぞれの鍵盤を押し上げてやらねばならなかった。ヴァイオリンはほぼ問題なかったが、チェロにおいては、悲しいかな、3本しか弦がなかった。幸いなことにシャントレル*2 と最低弦は残っていたから私たちは演奏することができたが、第2弦か第3弦(どちらかはもう覚えていないが)は欠けていた。結局のところパスキエ*3 は素晴らしい演奏家だったので、私たちはすっかり上手くやることができたんだ。さてクラリネットは、また別の問題を抱えていた。クラリネットの側面に幾つかキーがあるのを知っているでしょう?そのうちのひとつが、ストーブの近くに楽器が放置されていたために溶けてしまったんだ。哀れなクラリネッティスト!私たちはこんなおぞましい楽器で演奏したわけだが、請け合ってもいいがね、聴衆は誰ひとりとして笑おうとはしなかったよ。私たちはこんなにも恵まれていなかったのに、それにも関わらずその日の演奏は本当に素晴らしい出来だった・・

メシアンの言葉によって、作品は伝説となります。有史以来もっとも過酷な戦争の時代に、収容所という非人間的な環境にありながら、あらゆる困難をも乗り越え音楽の持つ力と人間の精神の勝利を謳ったこの初演の物語は、多くの人々に強い感銘を与えてきました。この作品が20世紀の音楽史において特異な位置を占めている所以です。しかし、実はこの物語には少しの「脚色」がありました。

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2003年に出版された「For the End of Time: The Story of the Messiaen Quartet」は、この作品の成立を追ったドキュメンタリーです。著者のレベッカ・リシン Rebecca Rischinはアメリカの音楽学者で、国際コンクールの受賞歴もあるすぐれたクラリネット奏者でもあります。彼女は初演に携わった演奏家や関係者たちへのインタビュー、膨大な資料の裏付けによって、作品ができあがっていく経緯、また初演後の作品と演奏者たちがたどった運命を克明に描き出しました。その結果、物語には幾つかの修正が加わることになります。

・メシアンがクラリネット奏者、チェロ奏者とすでにほかの場所で知り合っていたこと
・全ての作品が収容所で書かれたわけではないこと

1940年5月、ドイツがベルギー・オランダ・ルクセンブルクへの侵攻を開始したとき、メシアンはフランス北東部の都市ヴェルダンの要塞にいました。そこには軍楽隊が組織されており、そこでメシアンはのちに一緒に四重奏曲を初演することになるふたりの演奏家、チェロのパスキエとクラリネットのアンリ・アコカ Henri Akoka に出会います。すぐに親しくなった彼らは、翌6月のドイツ軍によるフランス侵攻によって捕虜となった後も、行動を共にすることになります。彼らはドイツへと移送される前にナンシー近郊のキャンプにしばらく拘留されますが、そこでメシアンは唯一彼らの手元に残されていた楽器、クラリネットのために作品を書き上げました。こうして出来上がったのが「鳥たちの深淵」で、これはのちに四重奏の第3楽章になります。「世の終わり〜」の一部は、すでにこの時点でできあがっていたのです。
そのほか、第5楽章「イエスの永遠性への賛歌」と第8楽章「イエスの不滅性への賛歌」は、それぞれオンド・マルトノ六重奏のための「美しき水の祭典 La Fête de belles eaux」(1937)、オルガン曲「二枚折り絵 Diptyque」(1930) の一部を元に書き改められたものであることが判っています。

・収容所での生活について

さらにリシンは他の捕虜たちの証言を通して、ゲルリッツでの過酷きわまる生活のイメージを修正してみせます。収容所の中には劇場、一万冊の蔵書を持つ図書館、大きな運動場などが設けられ、囚人たちによるオーケストラやジャズ・バンドの定期的な演奏会、展覧会なども行われていたそうです。長いドイツ音楽の伝統を持つナチス・ドイツの兵士たちは音楽家たちに常に敬意を持って接し、食料や燃料の配給でも他の捕虜たちより優遇していました。すでにドイツでも高く評価されていたメシアンにいたっては、収容所内のすべての労働を免除され、落ち着いた環境で作曲に集中できるよう細心の注意が払われていたのです。
もちろんこれらは生活の一部分に過ぎず、多少の環境が整備されただけで捕囚生活が快適であろう筈はありません。メシアン自身、ほかの多くの捕虜たちのようにひどい栄養失調に苦しんでいます。この音楽家たちへの厚遇自体も、ナチスが捕虜を正当かつ人道的に扱っているというアピールに利用するためでもありました(赤十字の視察の際には常に音楽家たちのバラックが案内されたそうです)。

・初演

メシアン自身が語った初演のエピソードも、すこし誇張されたものでした。メシアンが使用したピアノは普段から劇場で演奏されていたもので、もちろん完璧な状態ではなかったにせよ、そこまでひどい状態で放置されていたのかは疑問です。また、キーが溶けるほどの熱を与えられたクラリネットが、ひとつのキー以外は被害を受けなかったと考えるのには少々無理があります。なおチェリストのパスキエは、ゲルリッツの楽器店で楽器を購入した際に弓とともに4本の弦も購入しており、それはメシアンも知っていたと証言しています。いわく「もしメシアンがチェロを弾いたことがあるなら、あの曲を弦3本で演奏するのが不可能なことがわかるだろう」。「全部で5000人はいた*」とメシアンが証言した聴衆の数も、他の証言や残された資料から実際には400人程度であったようです。

余談ですが、それぞれの楽器がもつ問題の深刻さが演奏家の知名度と比例しているように見えるのも、筆者には興味深く思われます。一番大きな問題を抱えていたのはメシアンと名チェリストのパスキエ、キーがひとつ欠けたクラリネットのアコカはその後ラジオのオーケストラで活動、特に問題のなかったヴァイオリンのル・ブ レールは、終戦後プロの演奏家になることをあきらめ、俳優へと転職してしまいます*4 。やや意地の悪い言い方ですが、こういったエピソードはそれが有名人に関するものであるほど印象的であるのは 言うまでもありません。

では、メシアンはなぜこんな偽りの証言をしたのでしょうか?パスキエ自身も推察しているように、初演があらゆる障害に打ち克って大成功を収めたことを強調することで、この作品の伝説により価値を与えるためだと考えるのが妥当と思われます。絶望的な戦争の時代―まさに黙示録的な終末の世界―にあって、音楽と人間性の勝利を証明したこの初演の「奇跡」を、多少誇張してでもひろく示したいと願う欲求を責めることは誰にもできませんし、極限状態での体験の強烈さによって、彼の記憶の中で多少の修正がなされていたとしても驚くにはあたりません(例えば聴衆の数など)。事実、演奏会は「極度の集中」と張り詰めた静寂のなかで聴かれました。多くの捕虜たちがこの時の体験を大切に記憶にとどめ、のちにその思い出を深い感動とともに振り返っています。

著者のリシンにも、真実を明らかにすることによってメシアンを咎める意図は毛頭ありません。彼女の文章は作曲家と作品に対する深い愛情に貫かれ、この作品に関わったすべての人々への敬意に満ちています。初演に携わった4人の音楽家をはじめ、物語に登場するほとんどの人物が世を去ったいま、本書はこの20世紀を代表する室内楽曲の誕生と、また同時に第二次世界大戦という過酷な時代を生きた音楽家たちの生きた証言を知るうえで、きわめて貴重な資料と言えるでしょう。

そして彼女の労作は、私たちにもうひとつとても大切なことを教えてくれています。それは一度形づくられたイメージの強固さと、そのイメージにとらわれずに作品それ自体と向き合うことの難しさです。人はごくありふれた真実よりも、もっともらしいフィクションの方により強いリアリティを感じるものです。これはあらゆる事柄に当てはまる真理で、もちろん芸術も例外ではありません。事実、パスキエがはっきりと断言しているにも関わらず(おそらく彼はこれまでに何度となく同じ質問を受けたでしょう)、いまだに「三本弦のチェロ」の物語はひろく信じられているままです。
これは作品を聴く側にも演奏する側にも当てはまることですが、楽曲の(ときにつくられた)イメージや根拠のない慣習は、ときとして「音楽」そのものを見る目を曇らせるおそれがあります。未知の音楽の世界への入口を広げるために「物語」はきわめて大きな役割を果たしますが、一度その世界に入ったあとでは、もはや物語は音楽の不可欠な要素ではありません。作曲家や作品の周りを囲むイメージや先入観を捨て、可能なかぎり無垢な耳で音楽に耳を傾けるように努めてこそ、時を隔ててなお彼らが思い描いた本来の「音」を聴くことができるのではないでしょうか。

脚注
* 1 Leo Samama, "Entretien avec Olivier Messiaen"からの引用、対談はフィルム "Messiaen: Quartet for the end of Time" (dir. Astrid Wortelboer)に収録。
*2 chanterelle:「歌弦」の意味で、有棹楽器の最高弦を指す(「新音楽辞典」音楽之友社)。
*3 エティエンヌ・パスキエ Etienne Pasquier (1905-97)は、フランスのチェロ奏者。二人の兄弟 ジャン Jean(vln)、ピエール Pierre(viola) とともにTrio Pasquierを結成し、ひろくヨーロッパで活躍。マルグリット・ロンやジャン=ピエール・ランパルらと共演し、ミヨーやジョリヴェなど、多くの作品の初演も手がけています。
*4 ふとしたきっかけで俳優として活動することになったヴァイオリニストのジャン・ル・ブレール Jean Le Boulaire (Jean Lanierに改名)は、その後舞台を中心に活躍し、何本かの映画にも出演しました。フランス映画の金字塔、マルセル・カルネの「天井桟敷の人々 Les Enfants du pardis」にも
端役ながら出演しているそうです。人間の運命の不思議さを思わずにはいられません。

なお、本書は現在アルファベータ社から日本語訳が出版されています(邦題:時の終わりへ メシアンカルテットの物語)。筆者が参照したのは仏語訳版「Et Messiaen composa... Genèse du Quatuor pour la fin du Temps」で、日本語版は未確認です。内容の異同や稚拙な訳文はご容赦下さい。
「世の終わりの為の四重奏曲」には多くの録音がありますが、ここではピーター・ゼルキンを中心に
この曲を演奏する為に結成されたアンサンブル「タッシ」の録音(B00005EGKZ)、チョン・ミュンフン、ギル・シャハム、ポール・メイエらによるグラモフォンへの録音(B00005FJ72)の新旧二つの録音を挙げておきます。

2009/07/13

ヴェデルニコフ:ドビュッシー 「12の練習曲」

アナトリー・ヴェデルニコフ(Anatoly Vedernikov)は旧ソ連のピアニストでミケランジェリと同じ1920年生まれ、演奏活動を制限されていたために存命中はロシア国外でその名を知られることは殆どありませんでしたが、没後に復刻された音源によって、そのすぐれた演奏がひろく知られるようになりました。彼の遺した録音は、すべての演奏に共通するきわめて高い完成度と、深い音楽への理解を示しています。
ヴェデルニコフの広汎なレパートリーの中から、ここではドビュッシー晩年の傑作、「12の練習曲 Douze études」の演奏を取り上げてみたいと思います。1957年の演奏で、ライナー・ノーツによるとこれは同曲のロシアで最初の全曲録音だったようです。

ドビュッシーのピアノ曲を弾いたことがある方は、そのあまりに多岐に亘る演奏記号におそらく覚えがあることでしょう。詳細なアーティキュレーション、強弱・テンポの微細な変化、音楽のイメージを喚起する為の標示記号も頻繁に用いられます。この傾向は後期作品群において特に顕著になり、例えばこの「12の練習曲」においても、ひとつの音符のタッチに関してだけで実に10種類もの記号が使い分けられています。






ドビュッシーの譜面からは、彼自身が思い描いている音楽の姿を可能なかぎり精確に五線の上に定着させようとする強い意志が感じられます。こういった楽譜を、モーツァルトやあるいはシューマンのそれと同じように捉えることはできません。コンテクストによって変化する音楽の微妙なゆらぎの幅が、すでに作曲家によってほぼ厳密に指定されているからです。ドビュッシー作品における演奏家の創造性は、楽譜の「解釈」にではなく、何よりもまず楽譜に書かれたメッセージを正しく読み取ることができる柔軟な音楽性と、それを楽器を通して実現する広い意味での「技術」に現れます。

いままでに筆者が聴いた同作品の演奏の中でも、このヴェデルニコフの録音は、最も注意深く楽譜に相対し、その意図を過不足なく理解した上で、それを音楽として自然に表現し得た稀有な演奏のひとつです。彼の卓越したテクニックは、たとえ難しいパッセージの中でも、楽譜が要求する複雑なニュアンスを驚くほど正確に再現しています。録音に明らかな楽譜上のミスと思われる音符が聴かれることは惜しむべきことですが、それによってこの演奏の価値が下がることはありません。ヴェデルニコフは常にその楽譜に即しながら最も音楽的であろうと努めており、ここでも彼の楽譜に対する真摯な態度を確かめることができます。
ヴェデルニコフの演奏は安定した技術に支えられていますが、その技術をどのように用いるかという点に、彼の演奏の真髄があります。

例として「IX.反復音の為の」の演奏を見てみましょう。



これらは冒頭の3小節から抜き出した音型です。最初の音とふたつ目以降の音のタッチに異なる指示記号が用いられていますが、問題はこの曲にスケルツァンドという表情記号が与えられており、かなり「速い」音楽であるということです。一般的な演奏で♩=108〜126くらいでしょうか。ヴェデルニコフも♩120〜126のあいだくらいにテンポを設定しています。ということは四分音符が約0.5秒、十六分音符ひとつが最大0.125秒の長さということになりますが、ヴェデルニコフはここで3種類のタッチ、スタッカッティシモ/スタッカート/テヌートを完璧に弾き分けています。しかもこの記号は音のタッチにのみ関わるものですから、あくまでもディナミクスはppを保ったままで、です。これを技術と言わずしてなんと言いましょう。(笑)
見過ごしてはならないのは、ポリーニやエマールなどの秀れたテクニックを持つ現代のピアニスト、あるいはテンポを遅めに取っているピアニストたちの演奏においても、このタッチの差が聴かれない点です。つまりこれは一般的なテクニックの問題ではなく、楽譜に対する姿勢の問題であるということになります。その弾き方に積極的な意図が見出せない以上(皆さんすべて同じ長さのスタッカートで弾いておられます)、この音型のもつ豊かな音楽を表現し得たヴェデルニコフの弾き方をより高く評価するべきでしょう。

もうひとつだけ例を挙げてみます。


こちらも同じ曲からの抜粋です。一体ピアノという打弦楽器において、唯ふたつの二分音符からこのディナミクスの変化を表現できるでしょうか。一見不可能とも思える指示ですが、ヴェデルニコフの演奏はこのニュアンスをも再現することに成功しています。プロフェッショナルなピアニストではない筆者にはそのテクニックを想像することしかできませんが、注意深く聴いてみると、最初のF#は長さを保つようテヌートのタッチのpで弾き、次のDをpppで弾いた直後にすばやく最初の音を離しています。一定の強さを保っていた音が急速に消えていく音量の変化が、音の絶妙な受け渡しのタイミングによって、ふたつの音のあいだにおけるモルト・ディミニュエンドであるような錯覚(錯聴?)を耳に起こさせていると考えられます。厳密に言えば楽譜通りの変化ではないということですが、与える効果はこの音楽が意図しているものに限りなく近く、かつピアノという楽器で実現可能な唯一の方法と言えるでしょう。

このわずか数秒の音楽には、筆者が考える演奏のひとつの理想型が現れています。楽譜の注意深い読解によって得られた音楽の原型を、自らの習熟した技術と楽器の性能への深い理解によって、現実の楽音として表現すること。この楽譜を音にするための工夫はまさに演奏家の「技術」ですが、その工夫を要求するのは、音楽への深い共感を示すアーティストとしての資質です。本当にすぐれた演奏は、作曲家が思い描いた以上にゆたかな音楽を楽譜から引き出すこともできるでしょう。これこそが単なる「自己表現」から限りなく遠い、演奏における真の創造性と言えるのではないでしょうか。


ヴェデルニコフの多くの録音には、端的にすぐ指摘できるような「個性」はあらわれていません。おそらく彼自身、個性などということは考えていなかったでしょう。楽譜から音楽を読み取りそれをピアノで再現するきわめて高い能力、それ自体が彼を唯一の存在にしており、これは音楽を理解しようとする弛まぬ努力によってはじめて可能になるものです。高度なテクニックを持ったピアニストでありながら、そのテクニックはあくまで音楽の要求を満たすために用いられており、それを必要以上に誇示して音楽を犠牲にすることはありません。この姿勢こそが、そのあらゆるレパートリーを通じて常に感じられる誠実さ、透きとおった美しさを彼の演奏に与えているのでしょう。

ヴェデルニコフの演奏は、DENONから出ている「ロシア・ピアニズム名盤選」というシリーズのCDで聴くことができます。バロックから古典・ロマン派の主要なレパートリーを経てフランス・ロシア近代の作品まで網羅されており、そのどれもが丁寧に音楽が表現されている質の高い演奏です。ここでは参考までにハイドン「アンダンテと変奏」(COCQ-84245)、モーツァルト「ロンド イ短調」(COCQ-83962)、ドビュッシー「ピアノのために」(COCQ-83966)の録音を挙げておきます。

(追記)
先日メロディアから発売されているバッハ「イギリス組曲」全曲の録音(B0005EIOI)を聴き、ヴェデルニコフの偉大さを再認識しました。舞曲としての優美で端正な佇まいを損なうことなく、楽曲が本来持っている力強さを表現することに成功しています。彼自身最も大切にしていたというバッハの音楽への深い共感に満ちた名演です。



2009/07/04

「子供の情景」をめぐって

「子供の情景 kinderszenen op.15」の成立を知るひとつの手がかりとして、シューマンがのちに妻となるクララ・ヴィークに宛てた手紙の一節* が挙げられます。

・・・以前あなたは、ぼくがときどき子供のように見えると書いたことがありましたね。これはそのあなたのことばへの、音楽による返事のようなものです手短かに言えば、そうですね、まるでぼく自身が袖の広がったドレスを着ているようなぐあいで *、30曲ほどのおどけた小さな曲を書き、そのなかから12曲を選んで「子供の情景」という題名をつけました。きっとあなたはこれらの曲を楽しんでくれるでしょう。ただそのためには、言うまでもなく、自分がピアノのヴィルトゥオーゾであるということを、あなたは忘れなければなりません・・・ (1838年3月19日、ライプチヒ)

翌1839年に出版された「子供の情景」は13曲からなる曲集ですから、この手紙は、シューマンがこの曲集をまとめる際に、すくなくとも二度にわたって小曲の選択・配置を試みた可能性を示唆します。どの曲が後から加えられたのか―あるいは新たに作曲されたのか―もはや知るすべはありませんが**、もしシューマンがこの曲集をひとつの作品として発表するにあたって何らかの欠如を感じ、そしてそれを補うために1曲を追加したのだとすれば、彼がこの「子供の情景」の全体を、ある大きなひとつの音楽として捉えていたと考えることもできそうです。

では、作品を少し詳しく見ていきましょう。以下が曲集を構成する13の小曲です。

1.見知らぬ国と人々について Von fremden Ländern und Menschen(ト長調)
2.不思議なお話 Kuriose Geschichte(ニ長調)
3.鬼ごっこ Hasche-Mann(ロ短調)
4.おねだり Bittendes Kind(ニ長調)
5.十分に幸せ Glückes genug(ニ長調)
6.重大な出来事 Wichtige Begebenheit(イ長調)
7.トロイメライ(夢) Träumerei(ヘ長調)
8.暖炉のそばで Am Kamin(ヘ長調)
9.木馬の騎士 Ritter vom Steckenpferd(ヘ長調)
10.むきになって Fast zu ernst(嬰ト短調)
11.怖がらせ Fürchtenmachen(ホ短調)
12.眠りに入る子供 Kind im Einschlummern(ホ短調)
13.詩人は語る Der Dichter spricht(ト長調)


まず、それぞれの曲の調関係に注目してみます。

1.見知らぬ国と人々について(ト長調
2.不思議なお話 (ニ長調2)ト長調のV度調
3.鬼ごっこ (ロ短調2)ニ長調の平行調
4.おねだり (ニ長調2)
5.十分に幸せ (ニ長調2)
6.重大な出来事(イ長調3)ニ長調のV度調

7.トロイメライ(ヘ長調 b1)
8.暖炉のそばで(ヘ長調 b1)
9.木馬の騎士(ハ長調)ヘ長調のV度調

10.むきになって(嬰ト短調5)
11.怖がらせ(ホ短調1)
12.眠りに入る子供(ホ短調1・中間部ホ長調4)ホ短調の同主長調
13.詩人は語る(ト長調1)ホ短調の平行調

各曲の調性を見ていくと、前後の関係がV度調や平行調などの近親調を中心に変化していることが分かり、この曲集の特徴である、曲と曲とのあいだがなめらかに移行していく印象を裏付けています。調性が最初に大きく変化するのは7曲目「トロイメライ」の前で、結果としてこの曲は、それ以前の曲とは異なる、新たな色合いをもった音楽として聴かれることになります。
「トロイメライ」は全13曲のちょうど中央に置かれていることからも、この配置にはシューマン自身の意図が反映されているものと考えられます。


曲と曲のつながりに対する配慮は、旋律の扱い方からも読み取ることができます。
                    
4曲目の「おねだり」は、1曲目と旋律のほとんどを共有しながらも、ニ長調という調性と属9の和音という曖昧な和声感によって、メロディに新しい装いが与えられています。モティーフのストレートな再現や展開ではなく、まるでふと思い出したように旋律が新たな文脈の中にあらわれる手法が、この曲集の統一された音楽の印象を、別の側面から説明しています。
この「おねだり」は最後も属7の和音で結ばれており、終止感のきわめて薄い音楽になっています。なお、曲の終止を曖昧に保つこの書法は、12曲目「眠りに入る子供」にも用いられています(V度からの解決を回避したIV度の転回形による終止)。

ここでは、異なるふたつの曲で旋律の冒頭に同じ音程・リズム関係が見られます。連続している2曲が同じ素材で始まるため、「暖炉のそばで」は、前曲の余韻の中からあらわれてくる印象を聴き手に与えます。
音楽の変化が、共通の素材を利用することで自然な推移として実現されている好例と言えるでしょう。

ほかにも2曲目と6曲目の主題のリズムの構造や、4つの音符からなる順次進行の下降音型など、使われている素材のあいだに多くの関連性が見られ、作品全体のある統一された世界観の表現と、その中を自由に行き来する音楽の軽やかさを可能にしています。

「トロイメライ」にはじまるフラット系長調のグループは3曲で終わり***、シャープ系短調の3曲が続きます。前半では見られなかった大きく隔たった調への移動は、おもに前曲の主音または第三音をそれぞれ後曲の第三音・第五音と見立てる三度調転調によって行われています(6-7 、10-11曲目の関係)。予めできあがっていた調性のはなれた曲同士をつなげるために、シューマンが採用したひとつの方法と考えてもよいかもしれません。

13曲目の「詩人は語る」は、1曲目と同じト長調で書かれており、後半のグループと前半のグループとを「接続」する役割を担っています。古典的なソナタなどの他の形式でも第一楽章と終楽章が同じ調性で書かれますが、ここではやや特別な意図ーより直接的に冒頭へと回帰しようとする指向性があるように思います。「詩人は語る」というタイトルを持ったこの曲が、音楽的にそして標題的にも、1曲目の「見知らぬ国と人々について」へとつながっていく印象を受けるのは、おそらく私だけではないでしょう。ちなみに、原題を英訳するとそれぞれ<13. The Poet speaks>、<1. Of foreign Lands and Peoples>となり、そのまま連続したひとつの文章として成立しています。


シューマンがほぼ同じ時期に作曲した「クライスレリアーナKreisleriana op.16」や「ノヴェレッテ Novellettes op.21」などのいくつかの小曲をまとめた作品、あるいは「子供のためのアルバム Album für die jugend op. 68」などの学習用に書かれた作品においても、この作品の特徴である、調性の変化や曖昧な終止を利用した音楽のなめらかな推移や、旋律やリズムの断片的な共有は見られません。いわば「子供の情景」の音楽は、直線的に進む時間ではなく、循環する時間の中で描かれていると言えるでしょう。

"子供心を描いた、大人のための作品" というシューマン自身のことばは、「思い出す」という行為によって生じる記憶の微妙な変化や結びつき、そして常に充足し且つ閉じている、大人にとってのノスタルジックな「子供の世界」の在り方が、この音楽の構造に生かされていると考えることによって、より味わい深いものになるように思います。


(脚注)
*「
The Complete Correspondence of Clara and Robert Schumann vol.1 (ed.Eva Weissweiler) p.123、英語版からの拙訳。"as if I were wearing a dress with flared sleeves"は、"自分が子供の頃(の服装)に戻ったつもりで" といった意味の比喩でしょうか。
** 手紙の中では以下の曲がタイトルの一例として挙げられているため、少なくともこれらの曲は最初の12曲の中に入っていたようです― 「怖がらせ」 「暖炉のそばで」 「鬼ごっこ」 「おねだり」 「木馬の騎士」 「見知らぬ国と人々について」 「不思議なお話」
***「木馬の騎士」はハ長調で書かれていますが、後半に経過的なヘ長調を経たニ短調のカデンツがあり、耳はフラット系の印象を受けます。