2009/07/24

メシアン「世の終わりの為の四重奏曲」

クラシック音楽の中には多くの「物語」を持った作品があります。モーツァルトの「レクイエム」やベートーヴェンの「第九」、ストラヴィンスキーの「春の祭典」などにまつわるエピソードは、誰もがすぐに思い当たるのではないでしょうか。そんな数かぎりないエピソードのなかでも、メシアンの「世の終わりの為の四重奏曲」が持つ逸話は、特に有名なもののひとつに挙げられます。

「世の終わりの為の四重奏曲 Quatuor pour la fin du Temps」(1941) は、フランスの作曲家オリヴィエ・メシアン(1908−1992)の代表作であるとともに、20世紀の室内楽においても最もポピュラーな作品のひとつと言えるでしょう。敬虔なカトリックだったメシアンが、ヨハネの黙示録に想を得て作曲した作品です。編成はヴァイオリン・クラリネット・チェロ・ピアノで、作品を構成する8つの楽章のうち、4曲が四重奏のために書かれ、残りは4つの楽器の組み合わせによる独奏〜三重奏という変則的な形をとります。すでに独自の理論と作風を示していたメシアンが、自らの音楽語法(リズム・旋法論、鳥の歌)を確立し、それを自在かつ魅惑的な音色で表現した傑作です。翌1942年に着手され、1944年に上梓されたメシアンの理論書「わが音楽語法 Technique de mon langage musical」においてもこの作品から多くの譜例が採られており、メシアン自身この作品を重視していたことが分かります。


1. 水晶の典礼 Liturgie de cristal(quartet)

2. 世の終わりを告げる天使のためのヴォカリーズ Vocalise, pour l'Ange qui annonce la fin du Temps(quartet)

3. 鳥たちの深淵 Abîme des oiseaux(cl.)

4. 間奏曲 Intermède(vln, cl, cello)

5. イエスの永遠性への賛歌 Louange à l'Éternité de Jésus(cello, piano)

6. 7つのトランペットのための狂乱の踊り Danse de la fureur, pour les sept trompettes(quartet)

7. 世の終わりを告げる天使のための虹の混乱 Fouillis d'arcs-en-ciel, pour l'Ange qui annonce la fin du Temps(quartet)

8. イエスの不滅性への賛歌 Louange à l'Immortalité de Jésus (vln, piano)


音楽自体の魅力もさることながら、この作品にはドラマティックな背景があり、こちらも音楽と共にひろく知られています。時代ときわめて密接に結びついた作品の成立とその劇的な初演のエピソードは、クラシック音楽の長い歴史のなかでも特殊なものと言えるでしょう。それはおよそ以下のような内容です。

第二次世界大戦中の1940年、ドイツ軍の捕虜となったメシアンは、ドイツのゲルリッツ(都市の一部は現在ポーランドに帰属)にある収容所「Stalag VIII A」へと送られ、そこで自分と同じ音楽家の捕虜たちと出会います。彼らはそれぞれクラリネット、ヴァイオリン、チェロの演奏家でした。飢餓と劣悪な環境、冬は零下20度を越す寒さという極限の状況のなかでメシアンはこの作品を書き上げ、彼らとともに収容所内のバラックにて初演します。演奏会には数千人の捕虜たちが集まり、初演は大成功を収めました。
のちにメシアンはこのときの演奏を振り返って、次のように語っています*1。

彼らは私にピアノを与えてくれた、だが神よ、それは何というピアノだっただろう!そのピアノの鍵盤は一旦押すと戻ってこなかった。もし私がトリルを弾こうとでもすれば、すぐに音は止まってしまい、先を続けるためにはそれぞれの鍵盤を押し上げてやらねばならなかった。ヴァイオリンはほぼ問題なかったが、チェロにおいては、悲しいかな、3本しか弦がなかった。幸いなことにシャントレル*2 と最低弦は残っていたから私たちは演奏することができたが、第2弦か第3弦(どちらかはもう覚えていないが)は欠けていた。結局のところパスキエ*3 は素晴らしい演奏家だったので、私たちはすっかり上手くやることができたんだ。さてクラリネットは、また別の問題を抱えていた。クラリネットの側面に幾つかキーがあるのを知っているでしょう?そのうちのひとつが、ストーブの近くに楽器が放置されていたために溶けてしまったんだ。哀れなクラリネッティスト!私たちはこんなおぞましい楽器で演奏したわけだが、請け合ってもいいがね、聴衆は誰ひとりとして笑おうとはしなかったよ。私たちはこんなにも恵まれていなかったのに、それにも関わらずその日の演奏は本当に素晴らしい出来だった・・

メシアンの言葉によって、作品は伝説となります。有史以来もっとも過酷な戦争の時代に、収容所という非人間的な環境にありながら、あらゆる困難をも乗り越え音楽の持つ力と人間の精神の勝利を謳ったこの初演の物語は、多くの人々に強い感銘を与えてきました。この作品が20世紀の音楽史において特異な位置を占めている所以です。しかし、実はこの物語には少しの「脚色」がありました。

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2003年に出版された「For the End of Time: The Story of the Messiaen Quartet」は、この作品の成立を追ったドキュメンタリーです。著者のレベッカ・リシン Rebecca Rischinはアメリカの音楽学者で、国際コンクールの受賞歴もあるすぐれたクラリネット奏者でもあります。彼女は初演に携わった演奏家や関係者たちへのインタビュー、膨大な資料の裏付けによって、作品ができあがっていく経緯、また初演後の作品と演奏者たちがたどった運命を克明に描き出しました。その結果、物語には幾つかの修正が加わることになります。

・メシアンがクラリネット奏者、チェロ奏者とすでにほかの場所で知り合っていたこと
・全ての作品が収容所で書かれたわけではないこと

1940年5月、ドイツがベルギー・オランダ・ルクセンブルクへの侵攻を開始したとき、メシアンはフランス北東部の都市ヴェルダンの要塞にいました。そこには軍楽隊が組織されており、そこでメシアンはのちに一緒に四重奏曲を初演することになるふたりの演奏家、チェロのパスキエとクラリネットのアンリ・アコカ Henri Akoka に出会います。すぐに親しくなった彼らは、翌6月のドイツ軍によるフランス侵攻によって捕虜となった後も、行動を共にすることになります。彼らはドイツへと移送される前にナンシー近郊のキャンプにしばらく拘留されますが、そこでメシアンは唯一彼らの手元に残されていた楽器、クラリネットのために作品を書き上げました。こうして出来上がったのが「鳥たちの深淵」で、これはのちに四重奏の第3楽章になります。「世の終わり〜」の一部は、すでにこの時点でできあがっていたのです。
そのほか、第5楽章「イエスの永遠性への賛歌」と第8楽章「イエスの不滅性への賛歌」は、それぞれオンド・マルトノ六重奏のための「美しき水の祭典 La Fête de belles eaux」(1937)、オルガン曲「二枚折り絵 Diptyque」(1930) の一部を元に書き改められたものであることが判っています。

・収容所での生活について

さらにリシンは他の捕虜たちの証言を通して、ゲルリッツでの過酷きわまる生活のイメージを修正してみせます。収容所の中には劇場、一万冊の蔵書を持つ図書館、大きな運動場などが設けられ、囚人たちによるオーケストラやジャズ・バンドの定期的な演奏会、展覧会なども行われていたそうです。長いドイツ音楽の伝統を持つナチス・ドイツの兵士たちは音楽家たちに常に敬意を持って接し、食料や燃料の配給でも他の捕虜たちより優遇していました。すでにドイツでも高く評価されていたメシアンにいたっては、収容所内のすべての労働を免除され、落ち着いた環境で作曲に集中できるよう細心の注意が払われていたのです。
もちろんこれらは生活の一部分に過ぎず、多少の環境が整備されただけで捕囚生活が快適であろう筈はありません。メシアン自身、ほかの多くの捕虜たちのようにひどい栄養失調に苦しんでいます。この音楽家たちへの厚遇自体も、ナチスが捕虜を正当かつ人道的に扱っているというアピールに利用するためでもありました(赤十字の視察の際には常に音楽家たちのバラックが案内されたそうです)。

・初演

メシアン自身が語った初演のエピソードも、すこし誇張されたものでした。メシアンが使用したピアノは普段から劇場で演奏されていたもので、もちろん完璧な状態ではなかったにせよ、そこまでひどい状態で放置されていたのかは疑問です。また、キーが溶けるほどの熱を与えられたクラリネットが、ひとつのキー以外は被害を受けなかったと考えるのには少々無理があります。なおチェリストのパスキエは、ゲルリッツの楽器店で楽器を購入した際に弓とともに4本の弦も購入しており、それはメシアンも知っていたと証言しています。いわく「もしメシアンがチェロを弾いたことがあるなら、あの曲を弦3本で演奏するのが不可能なことがわかるだろう」。「全部で5000人はいた*」とメシアンが証言した聴衆の数も、他の証言や残された資料から実際には400人程度であったようです。

余談ですが、それぞれの楽器がもつ問題の深刻さが演奏家の知名度と比例しているように見えるのも、筆者には興味深く思われます。一番大きな問題を抱えていたのはメシアンと名チェリストのパスキエ、キーがひとつ欠けたクラリネットのアコカはその後ラジオのオーケストラで活動、特に問題のなかったヴァイオリンのル・ブ レールは、終戦後プロの演奏家になることをあきらめ、俳優へと転職してしまいます*4 。やや意地の悪い言い方ですが、こういったエピソードはそれが有名人に関するものであるほど印象的であるのは 言うまでもありません。

では、メシアンはなぜこんな偽りの証言をしたのでしょうか?パスキエ自身も推察しているように、初演があらゆる障害に打ち克って大成功を収めたことを強調することで、この作品の伝説により価値を与えるためだと考えるのが妥当と思われます。絶望的な戦争の時代―まさに黙示録的な終末の世界―にあって、音楽と人間性の勝利を証明したこの初演の「奇跡」を、多少誇張してでもひろく示したいと願う欲求を責めることは誰にもできませんし、極限状態での体験の強烈さによって、彼の記憶の中で多少の修正がなされていたとしても驚くにはあたりません(例えば聴衆の数など)。事実、演奏会は「極度の集中」と張り詰めた静寂のなかで聴かれました。多くの捕虜たちがこの時の体験を大切に記憶にとどめ、のちにその思い出を深い感動とともに振り返っています。

著者のリシンにも、真実を明らかにすることによってメシアンを咎める意図は毛頭ありません。彼女の文章は作曲家と作品に対する深い愛情に貫かれ、この作品に関わったすべての人々への敬意に満ちています。初演に携わった4人の音楽家をはじめ、物語に登場するほとんどの人物が世を去ったいま、本書はこの20世紀を代表する室内楽曲の誕生と、また同時に第二次世界大戦という過酷な時代を生きた音楽家たちの生きた証言を知るうえで、きわめて貴重な資料と言えるでしょう。

そして彼女の労作は、私たちにもうひとつとても大切なことを教えてくれています。それは一度形づくられたイメージの強固さと、そのイメージにとらわれずに作品それ自体と向き合うことの難しさです。人はごくありふれた真実よりも、もっともらしいフィクションの方により強いリアリティを感じるものです。これはあらゆる事柄に当てはまる真理で、もちろん芸術も例外ではありません。事実、パスキエがはっきりと断言しているにも関わらず(おそらく彼はこれまでに何度となく同じ質問を受けたでしょう)、いまだに「三本弦のチェロ」の物語はひろく信じられているままです。
これは作品を聴く側にも演奏する側にも当てはまることですが、楽曲の(ときにつくられた)イメージや根拠のない慣習は、ときとして「音楽」そのものを見る目を曇らせるおそれがあります。未知の音楽の世界への入口を広げるために「物語」はきわめて大きな役割を果たしますが、一度その世界に入ったあとでは、もはや物語は音楽の不可欠な要素ではありません。作曲家や作品の周りを囲むイメージや先入観を捨て、可能なかぎり無垢な耳で音楽に耳を傾けるように努めてこそ、時を隔ててなお彼らが思い描いた本来の「音」を聴くことができるのではないでしょうか。

脚注
* 1 Leo Samama, "Entretien avec Olivier Messiaen"からの引用、対談はフィルム "Messiaen: Quartet for the end of Time" (dir. Astrid Wortelboer)に収録。
*2 chanterelle:「歌弦」の意味で、有棹楽器の最高弦を指す(「新音楽辞典」音楽之友社)。
*3 エティエンヌ・パスキエ Etienne Pasquier (1905-97)は、フランスのチェロ奏者。二人の兄弟 ジャン Jean(vln)、ピエール Pierre(viola) とともにTrio Pasquierを結成し、ひろくヨーロッパで活躍。マルグリット・ロンやジャン=ピエール・ランパルらと共演し、ミヨーやジョリヴェなど、多くの作品の初演も手がけています。
*4 ふとしたきっかけで俳優として活動することになったヴァイオリニストのジャン・ル・ブレール Jean Le Boulaire (Jean Lanierに改名)は、その後舞台を中心に活躍し、何本かの映画にも出演しました。フランス映画の金字塔、マルセル・カルネの「天井桟敷の人々 Les Enfants du pardis」にも
端役ながら出演しているそうです。人間の運命の不思議さを思わずにはいられません。

なお、本書は現在アルファベータ社から日本語訳が出版されています(邦題:時の終わりへ メシアンカルテットの物語)。筆者が参照したのは仏語訳版「Et Messiaen composa... Genèse du Quatuor pour la fin du Temps」で、日本語版は未確認です。内容の異同や稚拙な訳文はご容赦下さい。
「世の終わりの為の四重奏曲」には多くの録音がありますが、ここではピーター・ゼルキンを中心に
この曲を演奏する為に結成されたアンサンブル「タッシ」の録音(B00005EGKZ)、チョン・ミュンフン、ギル・シャハム、ポール・メイエらによるグラモフォンへの録音(B00005FJ72)の新旧二つの録音を挙げておきます。

2009/07/13

ヴェデルニコフ:ドビュッシー 「12の練習曲」

アナトリー・ヴェデルニコフ(Anatoly Vedernikov)は旧ソ連のピアニストでミケランジェリと同じ1920年生まれ、演奏活動を制限されていたために存命中はロシア国外でその名を知られることは殆どありませんでしたが、没後に復刻された音源によって、そのすぐれた演奏がひろく知られるようになりました。彼の遺した録音は、すべての演奏に共通するきわめて高い完成度と、深い音楽への理解を示しています。
ヴェデルニコフの広汎なレパートリーの中から、ここではドビュッシー晩年の傑作、「12の練習曲 Douze études」の演奏を取り上げてみたいと思います。1957年の演奏で、ライナー・ノーツによるとこれは同曲のロシアで最初の全曲録音だったようです。

ドビュッシーのピアノ曲を弾いたことがある方は、そのあまりに多岐に亘る演奏記号におそらく覚えがあることでしょう。詳細なアーティキュレーション、強弱・テンポの微細な変化、音楽のイメージを喚起する為の標示記号も頻繁に用いられます。この傾向は後期作品群において特に顕著になり、例えばこの「12の練習曲」においても、ひとつの音符のタッチに関してだけで実に10種類もの記号が使い分けられています。






ドビュッシーの譜面からは、彼自身が思い描いている音楽の姿を可能なかぎり精確に五線の上に定着させようとする強い意志が感じられます。こういった楽譜を、モーツァルトやあるいはシューマンのそれと同じように捉えることはできません。コンテクストによって変化する音楽の微妙なゆらぎの幅が、すでに作曲家によってほぼ厳密に指定されているからです。ドビュッシー作品における演奏家の創造性は、楽譜の「解釈」にではなく、何よりもまず楽譜に書かれたメッセージを正しく読み取ることができる柔軟な音楽性と、それを楽器を通して実現する広い意味での「技術」に現れます。

いままでに筆者が聴いた同作品の演奏の中でも、このヴェデルニコフの録音は、最も注意深く楽譜に相対し、その意図を過不足なく理解した上で、それを音楽として自然に表現し得た稀有な演奏のひとつです。彼の卓越したテクニックは、たとえ難しいパッセージの中でも、楽譜が要求する複雑なニュアンスを驚くほど正確に再現しています。録音に明らかな楽譜上のミスと思われる音符が聴かれることは惜しむべきことですが、それによってこの演奏の価値が下がることはありません。ヴェデルニコフは常にその楽譜に即しながら最も音楽的であろうと努めており、ここでも彼の楽譜に対する真摯な態度を確かめることができます。
ヴェデルニコフの演奏は安定した技術に支えられていますが、その技術をどのように用いるかという点に、彼の演奏の真髄があります。

例として「IX.反復音の為の」の演奏を見てみましょう。



これらは冒頭の3小節から抜き出した音型です。最初の音とふたつ目以降の音のタッチに異なる指示記号が用いられていますが、問題はこの曲にスケルツァンドという表情記号が与えられており、かなり「速い」音楽であるということです。一般的な演奏で♩=108〜126くらいでしょうか。ヴェデルニコフも♩120〜126のあいだくらいにテンポを設定しています。ということは四分音符が約0.5秒、十六分音符ひとつが最大0.125秒の長さということになりますが、ヴェデルニコフはここで3種類のタッチ、スタッカッティシモ/スタッカート/テヌートを完璧に弾き分けています。しかもこの記号は音のタッチにのみ関わるものですから、あくまでもディナミクスはppを保ったままで、です。これを技術と言わずしてなんと言いましょう。(笑)
見過ごしてはならないのは、ポリーニやエマールなどの秀れたテクニックを持つ現代のピアニスト、あるいはテンポを遅めに取っているピアニストたちの演奏においても、このタッチの差が聴かれない点です。つまりこれは一般的なテクニックの問題ではなく、楽譜に対する姿勢の問題であるということになります。その弾き方に積極的な意図が見出せない以上(皆さんすべて同じ長さのスタッカートで弾いておられます)、この音型のもつ豊かな音楽を表現し得たヴェデルニコフの弾き方をより高く評価するべきでしょう。

もうひとつだけ例を挙げてみます。


こちらも同じ曲からの抜粋です。一体ピアノという打弦楽器において、唯ふたつの二分音符からこのディナミクスの変化を表現できるでしょうか。一見不可能とも思える指示ですが、ヴェデルニコフの演奏はこのニュアンスをも再現することに成功しています。プロフェッショナルなピアニストではない筆者にはそのテクニックを想像することしかできませんが、注意深く聴いてみると、最初のF#は長さを保つようテヌートのタッチのpで弾き、次のDをpppで弾いた直後にすばやく最初の音を離しています。一定の強さを保っていた音が急速に消えていく音量の変化が、音の絶妙な受け渡しのタイミングによって、ふたつの音のあいだにおけるモルト・ディミニュエンドであるような錯覚(錯聴?)を耳に起こさせていると考えられます。厳密に言えば楽譜通りの変化ではないということですが、与える効果はこの音楽が意図しているものに限りなく近く、かつピアノという楽器で実現可能な唯一の方法と言えるでしょう。

このわずか数秒の音楽には、筆者が考える演奏のひとつの理想型が現れています。楽譜の注意深い読解によって得られた音楽の原型を、自らの習熟した技術と楽器の性能への深い理解によって、現実の楽音として表現すること。この楽譜を音にするための工夫はまさに演奏家の「技術」ですが、その工夫を要求するのは、音楽への深い共感を示すアーティストとしての資質です。本当にすぐれた演奏は、作曲家が思い描いた以上にゆたかな音楽を楽譜から引き出すこともできるでしょう。これこそが単なる「自己表現」から限りなく遠い、演奏における真の創造性と言えるのではないでしょうか。


ヴェデルニコフの多くの録音には、端的にすぐ指摘できるような「個性」はあらわれていません。おそらく彼自身、個性などということは考えていなかったでしょう。楽譜から音楽を読み取りそれをピアノで再現するきわめて高い能力、それ自体が彼を唯一の存在にしており、これは音楽を理解しようとする弛まぬ努力によってはじめて可能になるものです。高度なテクニックを持ったピアニストでありながら、そのテクニックはあくまで音楽の要求を満たすために用いられており、それを必要以上に誇示して音楽を犠牲にすることはありません。この姿勢こそが、そのあらゆるレパートリーを通じて常に感じられる誠実さ、透きとおった美しさを彼の演奏に与えているのでしょう。

ヴェデルニコフの演奏は、DENONから出ている「ロシア・ピアニズム名盤選」というシリーズのCDで聴くことができます。バロックから古典・ロマン派の主要なレパートリーを経てフランス・ロシア近代の作品まで網羅されており、そのどれもが丁寧に音楽が表現されている質の高い演奏です。ここでは参考までにハイドン「アンダンテと変奏」(COCQ-84245)、モーツァルト「ロンド イ短調」(COCQ-83962)、ドビュッシー「ピアノのために」(COCQ-83966)の録音を挙げておきます。

(追記)
先日メロディアから発売されているバッハ「イギリス組曲」全曲の録音(B0005EIOI)を聴き、ヴェデルニコフの偉大さを再認識しました。舞曲としての優美で端正な佇まいを損なうことなく、楽曲が本来持っている力強さを表現することに成功しています。彼自身最も大切にしていたというバッハの音楽への深い共感に満ちた名演です。



2009/07/04

「子供の情景」をめぐって

「子供の情景 kinderszenen op.15」の成立を知るひとつの手がかりとして、シューマンがのちに妻となるクララ・ヴィークに宛てた手紙の一節* が挙げられます。

・・・以前あなたは、ぼくがときどき子供のように見えると書いたことがありましたね。これはそのあなたのことばへの、音楽による返事のようなものです手短かに言えば、そうですね、まるでぼく自身が袖の広がったドレスを着ているようなぐあいで *、30曲ほどのおどけた小さな曲を書き、そのなかから12曲を選んで「子供の情景」という題名をつけました。きっとあなたはこれらの曲を楽しんでくれるでしょう。ただそのためには、言うまでもなく、自分がピアノのヴィルトゥオーゾであるということを、あなたは忘れなければなりません・・・ (1838年3月19日、ライプチヒ)

翌1839年に出版された「子供の情景」は13曲からなる曲集ですから、この手紙は、シューマンがこの曲集をまとめる際に、すくなくとも二度にわたって小曲の選択・配置を試みた可能性を示唆します。どの曲が後から加えられたのか―あるいは新たに作曲されたのか―もはや知るすべはありませんが**、もしシューマンがこの曲集をひとつの作品として発表するにあたって何らかの欠如を感じ、そしてそれを補うために1曲を追加したのだとすれば、彼がこの「子供の情景」の全体を、ある大きなひとつの音楽として捉えていたと考えることもできそうです。

では、作品を少し詳しく見ていきましょう。以下が曲集を構成する13の小曲です。

1.見知らぬ国と人々について Von fremden Ländern und Menschen(ト長調)
2.不思議なお話 Kuriose Geschichte(ニ長調)
3.鬼ごっこ Hasche-Mann(ロ短調)
4.おねだり Bittendes Kind(ニ長調)
5.十分に幸せ Glückes genug(ニ長調)
6.重大な出来事 Wichtige Begebenheit(イ長調)
7.トロイメライ(夢) Träumerei(ヘ長調)
8.暖炉のそばで Am Kamin(ヘ長調)
9.木馬の騎士 Ritter vom Steckenpferd(ヘ長調)
10.むきになって Fast zu ernst(嬰ト短調)
11.怖がらせ Fürchtenmachen(ホ短調)
12.眠りに入る子供 Kind im Einschlummern(ホ短調)
13.詩人は語る Der Dichter spricht(ト長調)


まず、それぞれの曲の調関係に注目してみます。

1.見知らぬ国と人々について(ト長調
2.不思議なお話 (ニ長調2)ト長調のV度調
3.鬼ごっこ (ロ短調2)ニ長調の平行調
4.おねだり (ニ長調2)
5.十分に幸せ (ニ長調2)
6.重大な出来事(イ長調3)ニ長調のV度調

7.トロイメライ(ヘ長調 b1)
8.暖炉のそばで(ヘ長調 b1)
9.木馬の騎士(ハ長調)ヘ長調のV度調

10.むきになって(嬰ト短調5)
11.怖がらせ(ホ短調1)
12.眠りに入る子供(ホ短調1・中間部ホ長調4)ホ短調の同主長調
13.詩人は語る(ト長調1)ホ短調の平行調

各曲の調性を見ていくと、前後の関係がV度調や平行調などの近親調を中心に変化していることが分かり、この曲集の特徴である、曲と曲とのあいだがなめらかに移行していく印象を裏付けています。調性が最初に大きく変化するのは7曲目「トロイメライ」の前で、結果としてこの曲は、それ以前の曲とは異なる、新たな色合いをもった音楽として聴かれることになります。
「トロイメライ」は全13曲のちょうど中央に置かれていることからも、この配置にはシューマン自身の意図が反映されているものと考えられます。


曲と曲のつながりに対する配慮は、旋律の扱い方からも読み取ることができます。
                    
4曲目の「おねだり」は、1曲目と旋律のほとんどを共有しながらも、ニ長調という調性と属9の和音という曖昧な和声感によって、メロディに新しい装いが与えられています。モティーフのストレートな再現や展開ではなく、まるでふと思い出したように旋律が新たな文脈の中にあらわれる手法が、この曲集の統一された音楽の印象を、別の側面から説明しています。
この「おねだり」は最後も属7の和音で結ばれており、終止感のきわめて薄い音楽になっています。なお、曲の終止を曖昧に保つこの書法は、12曲目「眠りに入る子供」にも用いられています(V度からの解決を回避したIV度の転回形による終止)。

ここでは、異なるふたつの曲で旋律の冒頭に同じ音程・リズム関係が見られます。連続している2曲が同じ素材で始まるため、「暖炉のそばで」は、前曲の余韻の中からあらわれてくる印象を聴き手に与えます。
音楽の変化が、共通の素材を利用することで自然な推移として実現されている好例と言えるでしょう。

ほかにも2曲目と6曲目の主題のリズムの構造や、4つの音符からなる順次進行の下降音型など、使われている素材のあいだに多くの関連性が見られ、作品全体のある統一された世界観の表現と、その中を自由に行き来する音楽の軽やかさを可能にしています。

「トロイメライ」にはじまるフラット系長調のグループは3曲で終わり***、シャープ系短調の3曲が続きます。前半では見られなかった大きく隔たった調への移動は、おもに前曲の主音または第三音をそれぞれ後曲の第三音・第五音と見立てる三度調転調によって行われています(6-7 、10-11曲目の関係)。予めできあがっていた調性のはなれた曲同士をつなげるために、シューマンが採用したひとつの方法と考えてもよいかもしれません。

13曲目の「詩人は語る」は、1曲目と同じト長調で書かれており、後半のグループと前半のグループとを「接続」する役割を担っています。古典的なソナタなどの他の形式でも第一楽章と終楽章が同じ調性で書かれますが、ここではやや特別な意図ーより直接的に冒頭へと回帰しようとする指向性があるように思います。「詩人は語る」というタイトルを持ったこの曲が、音楽的にそして標題的にも、1曲目の「見知らぬ国と人々について」へとつながっていく印象を受けるのは、おそらく私だけではないでしょう。ちなみに、原題を英訳するとそれぞれ<13. The Poet speaks>、<1. Of foreign Lands and Peoples>となり、そのまま連続したひとつの文章として成立しています。


シューマンがほぼ同じ時期に作曲した「クライスレリアーナKreisleriana op.16」や「ノヴェレッテ Novellettes op.21」などのいくつかの小曲をまとめた作品、あるいは「子供のためのアルバム Album für die jugend op. 68」などの学習用に書かれた作品においても、この作品の特徴である、調性の変化や曖昧な終止を利用した音楽のなめらかな推移や、旋律やリズムの断片的な共有は見られません。いわば「子供の情景」の音楽は、直線的に進む時間ではなく、循環する時間の中で描かれていると言えるでしょう。

"子供心を描いた、大人のための作品" というシューマン自身のことばは、「思い出す」という行為によって生じる記憶の微妙な変化や結びつき、そして常に充足し且つ閉じている、大人にとってのノスタルジックな「子供の世界」の在り方が、この音楽の構造に生かされていると考えることによって、より味わい深いものになるように思います。


(脚注)
*「
The Complete Correspondence of Clara and Robert Schumann vol.1 (ed.Eva Weissweiler) p.123、英語版からの拙訳。"as if I were wearing a dress with flared sleeves"は、"自分が子供の頃(の服装)に戻ったつもりで" といった意味の比喩でしょうか。
** 手紙の中では以下の曲がタイトルの一例として挙げられているため、少なくともこれらの曲は最初の12曲の中に入っていたようです― 「怖がらせ」 「暖炉のそばで」 「鬼ごっこ」 「おねだり」 「木馬の騎士」 「見知らぬ国と人々について」 「不思議なお話」
***「木馬の騎士」はハ長調で書かれていますが、後半に経過的なヘ長調を経たニ短調のカデンツがあり、耳はフラット系の印象を受けます。