十二音技法とは、1オクターブに含まれる12の半音をすべて均等に扱おうとする作曲法で、多くの場合これら12の音をある特定の順序に配列した「セリー série」とよばれる音の列が楽曲の基礎になります。この技法の確立によって、作曲家たちは調性音楽の前提である主音を頂点とした音程・ハーモニーの階層構造をしりぞけながら、同時に無調音楽の課題とされていた楽曲全体の統一を獲得することができるようになりました。今回はその技法を用いて作曲した代表的な作曲家のひとり、アントン・ウェーベルン(Anton (von) Webern 1883-1945)の「ピアノのための変奏曲 Variationen für Klavier op.27」を取り上げ、十二音音楽の仕組みについても少し触れてみたいと思います。
ウェーベルンの作品は、その極端にみじかい時間の中に凝縮された緊密な構成と、形式の美しい均衡をその特徴としています。1925年に書かれた「3つの宗教的民謡 Drei geistliche Volkslieder op.17」から楽曲全体を十二音技法で作曲するようになり、やがてその運用法において自らの師でもある十二音技法の考案者、シェーンベルクとは異なった独自の作風を確立しました。生前はほとんど顧みられることのなかったウェーベルンの音楽ですが、第二次大戦後はピエール・ブーレーズら若い世代の作曲家たちによって再評価され、その作品は20世紀後半の西洋音楽の新たな出発点として、きわめて重要な意味を持つことになります。
この「ピアノのための変奏曲」はウェーベルンにとって作品番号が付された唯一のピアノ・ソロ曲で、3つの楽章で構成されています。外見は I.ソナタ形式・II.二部形式・III.主題と変奏という体裁をとりますが、根底に横たわるのはあくまでもひとつのセリー(音列)に基づく構造であり、この3つの楽章自体が「伝統的形式の十二音技法による変奏」であるという言い方もできるかもしれません。
この作品の最大の特徴は、そのシンメトリックな構造にあります。音程関係や音型の鏡像形があらゆる階層で楽曲の構造を担っており、同時にこの曲が持つ音楽の独特な表情の元にもなっています。形式の美と整合性に常に細心の注意を払った、ウェーベルンならではの十二音技法の典型的な実例のひとつと言えるでしょう。上の譜例は、音型の鏡像形を至る所に用いた第一楽章から冒頭の7小節を抜き出したものです。上下の五線に6音ずつ配されたセリーが、4小節目のGisを境にしてきれいに反転しているのがお分かりいただけるかと思います。
ちなみにこの作品が完成された1936年には、バルトークの代表作の一つである「弦楽器・打楽器とチェレスタのための音楽」が作曲されています。この作品の中でバルトークは、一つの音程を軸とするシンメトリックな対位法を用いており、ウェーベルンの試みが単なる個人的な関心ではなく、問題意識を持った作曲家たちへの、必然的な時代の要請でもあったことが分かります。以下の譜例は第一楽章の最後の部分で、第1・第2ヴァイオリンの間に、Aの音を軸にした対称形が現れています。
ここからは「ピアノのための変奏曲」から第二楽章を取り出して、少し詳しく見ていきたいと思います。機能和声というきわめて強い求心力を持った体系を放棄した十二音技法の作曲家たちは、楽曲の構成上・聴覚上の統一感を維持するために、様々な技法をその音楽の中に持ち込みました。ウェーベルンはこの第二楽章の構成にカノンの技法を援用しています。カノンとはひとつの声部にあらわれる主題が、他の声部によってある一定の時間的間隔を置いて模倣される形式のことで、ウェーベルンが好んで用いた書法のひとつでもあります。
譜例1は冒頭の6小節を抜き出したものです。上下の五線にそれぞれひとつずつセリーが進行するように書かれており、左手ではじまったセリーαは、常に八分音符ひとつ分だけ遅れて奏される右手のセリーβによって正確に応答されます。セリーのそれぞれの音のあいだに休符が挟まれているため、結果的に先行するセリーαと模倣するセリーβのふたつの音が対になって、ひとつのリズム(♫)を形成しているように聞こえます。
このふたつのセリーの関係は、八分音符ひとつ分の間隔を持った「転回カノン」の形をとっています。これは、主題となる声部が反行形(音程関係を反転した形)で模倣されるカノンのことです。カノンの適用は主題の音程関係にとどまらず、音の強弱やアーティキュレーション、ニュアンスに至るまで常に厳格な模倣が為されており、ウェーベルンの十二音技法の特徴のひとつである、音高以外のパラメータもセリーのように組織的に扱おうとする意図がうかがわれます。
途中に二度の五線の交替を経たあと(ふたつのセリーが互いの五線を交替するのに伴って、リズムも左手→右手から右手→左手、という具合に順序が逆転します)、6小節目のフォルティッシモの音符の前の装飾音で一組目のセリーの提示が終わります。この音符までにそれぞれの五線に音が12個ずつ登場しているのが見て取れると思います。たとえ大きな跳躍がある場合でも、ひとつの音列は原則として同じ五線上に書かれているため、シンプルな楽譜の印象に反し、演奏家には両手をめまぐるしく交差させるアクロバティックな技巧が要求される音楽です。
アウフタクトのあと、第一小節目のふたつのAの音に注目してみてください。このAは第二楽章のハーモニーの軸となる音で、また曲の構成を理解する鍵でもあります。その存在を明確にするためにこのAは常に2回続けて奏され、音域・ニュアンス(p)・アーティキュレーション(スタッカート)とも楽章全体を通して一切変化しません。そして、それ以外のカノンを形成するふたつの対になる音は、いつも中心のAに対して同じ距離(音程間隔)を保っています。例えば、冒頭アウフタクトのBとGisは真ん中のAから上下にそれぞれ短9度(1オクターブ+短2度)の距離にあり、第2小節目のCisとFは短6度の距離といった具合です(譜例2。数字は音程のあいだの半音の数、プラスマイナスはそれぞれ上行下行を表しています)。
この関係は楽章全体を通して維持されており、先行するセリーαが中心音Aから近づいても離れても、応答するセリーβは常にその分だけAとの距離を変化させ、対になるふたつの音符からAまでの距離は、常にまったくのイコール、完璧な対称形が保たれています。なお、先ほど引用したバルトークの譜例でもこの同じAの音が中心軸に選ばれていたのは、興味深い符合です。
断っておきますが、ウェーベルンはこれらの音程を中心音から等しい距離になるよう、その場に応じて恣意的に選んでいるわけではありません。あらかじめ決定された音列はただ一音ずつ順番に進んでいくだけで、途中で作曲家によるいかなる操作も加えられていません。では、なぜこれほどまでに見事なシンメトリーが実現されているのでしょうか?ここには音列の基本形と反行形の間に生まれる特徴的な性質を巧みに利用した、ウェーベルンの創意と周到な戦略をみることができます。
(以下、点線のあいだはやや込み入った説明になりますので、読みとばしていただいてもかまいません)
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例として、ここにあるひとつのセリーP0と、その反行形I0があると考えてみてください。反行形I0は、P0の音程関係を第1音の位置に鏡を水平に置いて反転させたものですので、ここにGを軸とする対称形が現れます(譜例3。数字と記号は第1音Gからの半音の数を示しています)。
軸となる音からふたつのセリーの○番目にあるそれぞれの音までの距離は、どのペアをとっても常に等しくなっているのが分かると思います。
このふたつのセリーを一音ずつ辿っていくと、第1音のほかに、一度だけ同じ順番で現れる音がありますね。それは軸となる音Gからの距離が、関係を反転させても常に変化しない音程、増4度の位置にある音(譜例では5番目の音Cis)です。このCisに対しても、ふたつのセリーの同じ順番にある音からの距離は常に等しくなっています(譜例4。Cisからの距離は赤字で表記)。
つまり一組の基本形と反行形のペアには、いつも対称形の軸となる音がふたつあるということですね。この軸音は常にふたつの音列の同じ順番で現れ、この関係は当然ながら、音列がどの順番の音からはじまると仮定してみても変化しません。つまり、いかなる基本形と反行形の組み合わせでも(同じ音から始まらなくても)それぞれの音列の○番目の音から等しい距離にあるふたつの軸音は、常に音列中の同じ順番に現れるということです。
ウェーベルンはこの楽章で使用されている4組の音列を、すべてAの音が軸音となる基本形と反行形の組み合わせの中から選んでいます。これで何の操作を加えなくても、常にAの音が対になって現れるようになるわけですね。また、どのふたつの音のペアにおいてもAとの距離は等しく保たれているわけですから、あとは音域に配慮をしてAを中心とした対称形を維持できるようにすればよいわけです。
どんな音列をつくっても必ず現れる対称形という普遍的な法則を用いながら、中心音からシンメトリックに配置されたそれぞれの音高にカノンのリズム、強弱、ニュアンスを巧みに組み合わせることで、音楽が単調な音列の羅列に陥ることを回避しています。構成の美しさと音楽的な表現力とが、わずか数十秒の時間の中にあたかも結晶のように結びついた、ウェーベルンならではの高度な書法を学ぶ格好の教科書と言えましょう。
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鏡像形やカノンを巧みに用いた美しいプロポーション、簡素な譜面の内に豊かな音楽の表情を織り込んだ、この小さな変奏曲に魅せられたピアニストは少なくありません。1964年のグレン・グールドの演奏(こちらは映像も残っています)を嚆矢として、1978年のマウリツィオ・ポリーニ、最近では内田光子やクリスティアン・ツィマーマンといった名手たちの録音を聴くことができます。なかでもポリーニの録音(B00005Q7QZ)は、他にストラヴィンスキー「ペトルーシュカからの3楽章」(バレエ音楽からの作曲家自身による編曲版)、プロコフィエフ「ピアノソナタ第7番」、ブーレーズ「ピアノソナタ第2番」という20世紀の重要なピアノ作品を収めたもので、明晰なアプローチのもとに、技巧的なパッセージでも細部の輪郭を見事に弾き分ける、ポリーニの正確無比なテクニックが冴えわたる名盤です。
ウェーベルンの作品は、きらびやかな装飾や饒舌な語り口とは無縁の、つぶやくような音響の断片と沈黙に満ちた音楽です。そのどこまでもストイックな作風は、調性音楽が持つ華やかな音響の世界に慣れてしまった耳には、余りに素っ気のない、冷たい音楽と受け取られてしまう危険性を孕んでいることは否めません。しかしウェーベルンの関心は、ただ音を知的な操作によって支配することにではなく、その選び抜かれた最小の要素によってどれだけ豊かな音楽を表現できるかにありました。彼の一音一音に対する徹底的なこだわりは、その強弱・奏法・音色・ニュアンスについての詳細を極める指示記号に如実に現れており、これらはそれぞれの音に対し彼がいかに鮮明な(或いは情熱的な)イメージを持っていたかを物語っています。
いみじくも彼の前の世代に当たる後期ロマン派の作曲家たちが望んだように、オーケストラの編成を大きくしてあらゆる音のパラメータを増幅させても、必ずしもそれに伴って音楽の表現が拡大し続けるわけではありません。ごくささやかな音楽のなかにでも、音色の微細な変化に感覚を研ぎ澄ませ、僅かな音の身振りの効果を最大限に引き出すことで、大オーケストラのトゥッティにも匹敵する強い表現力を持つことさえあり得るのです(これは演奏についても大いに言えることだと思います)。
音楽という芸術の可能性は、聴衆を圧倒するようなマクロな表現にだけあるのではなく、そのミクロな表現の内にも実に豊饒な世界が広がっていることを、ウェーベルンの音楽は教えてくれます。
参考資料
Kathryn Bailey「The twelve-note music of Anton Webern」(ed. Cambridge university press)
György Ligeti「Neuf Essais sur la musique」(ed. Contrechamps) III. Aspect du langage musical de Webern
このふたつのセリーの関係は、八分音符ひとつ分の間隔を持った「転回カノン」の形をとっています。これは、主題となる声部が反行形(音程関係を反転した形)で模倣されるカノンのことです。カノンの適用は主題の音程関係にとどまらず、音の強弱やアーティキュレーション、ニュアンスに至るまで常に厳格な模倣が為されており、ウェーベルンの十二音技法の特徴のひとつである、音高以外のパラメータもセリーのように組織的に扱おうとする意図がうかがわれます。
途中に二度の五線の交替を経たあと(ふたつのセリーが互いの五線を交替するのに伴って、リズムも左手→右手から右手→左手、という具合に順序が逆転します)、6小節目のフォルティッシモの音符の前の装飾音で一組目のセリーの提示が終わります。この音符までにそれぞれの五線に音が12個ずつ登場しているのが見て取れると思います。たとえ大きな跳躍がある場合でも、ひとつの音列は原則として同じ五線上に書かれているため、シンプルな楽譜の印象に反し、演奏家には両手をめまぐるしく交差させるアクロバティックな技巧が要求される音楽です。
アウフタクトのあと、第一小節目のふたつのAの音に注目してみてください。このAは第二楽章のハーモニーの軸となる音で、また曲の構成を理解する鍵でもあります。その存在を明確にするためにこのAは常に2回続けて奏され、音域・ニュアンス(p)・アーティキュレーション(スタッカート)とも楽章全体を通して一切変化しません。そして、それ以外のカノンを形成するふたつの対になる音は、いつも中心のAに対して同じ距離(音程間隔)を保っています。例えば、冒頭アウフタクトのBとGisは真ん中のAから上下にそれぞれ短9度(1オクターブ+短2度)の距離にあり、第2小節目のCisとFは短6度の距離といった具合です(譜例2。数字は音程のあいだの半音の数、プラスマイナスはそれぞれ上行下行を表しています)。
この関係は楽章全体を通して維持されており、先行するセリーαが中心音Aから近づいても離れても、応答するセリーβは常にその分だけAとの距離を変化させ、対になるふたつの音符からAまでの距離は、常にまったくのイコール、完璧な対称形が保たれています。なお、先ほど引用したバルトークの譜例でもこの同じAの音が中心軸に選ばれていたのは、興味深い符合です。
断っておきますが、ウェーベルンはこれらの音程を中心音から等しい距離になるよう、その場に応じて恣意的に選んでいるわけではありません。あらかじめ決定された音列はただ一音ずつ順番に進んでいくだけで、途中で作曲家によるいかなる操作も加えられていません。では、なぜこれほどまでに見事なシンメトリーが実現されているのでしょうか?ここには音列の基本形と反行形の間に生まれる特徴的な性質を巧みに利用した、ウェーベルンの創意と周到な戦略をみることができます。
(以下、点線のあいだはやや込み入った説明になりますので、読みとばしていただいてもかまいません)
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
例として、ここにあるひとつのセリーP0と、その反行形I0があると考えてみてください。反行形I0は、P0の音程関係を第1音の位置に鏡を水平に置いて反転させたものですので、ここにGを軸とする対称形が現れます(譜例3。数字と記号は第1音Gからの半音の数を示しています)。
軸となる音からふたつのセリーの○番目にあるそれぞれの音までの距離は、どのペアをとっても常に等しくなっているのが分かると思います。
このふたつのセリーを一音ずつ辿っていくと、第1音のほかに、一度だけ同じ順番で現れる音がありますね。それは軸となる音Gからの距離が、関係を反転させても常に変化しない音程、増4度の位置にある音(譜例では5番目の音Cis)です。このCisに対しても、ふたつのセリーの同じ順番にある音からの距離は常に等しくなっています(譜例4。Cisからの距離は赤字で表記)。
つまり一組の基本形と反行形のペアには、いつも対称形の軸となる音がふたつあるということですね。この軸音は常にふたつの音列の同じ順番で現れ、この関係は当然ながら、音列がどの順番の音からはじまると仮定してみても変化しません。つまり、いかなる基本形と反行形の組み合わせでも(同じ音から始まらなくても)それぞれの音列の○番目の音から等しい距離にあるふたつの軸音は、常に音列中の同じ順番に現れるということです。
ウェーベルンはこの楽章で使用されている4組の音列を、すべてAの音が軸音となる基本形と反行形の組み合わせの中から選んでいます。これで何の操作を加えなくても、常にAの音が対になって現れるようになるわけですね。また、どのふたつの音のペアにおいてもAとの距離は等しく保たれているわけですから、あとは音域に配慮をしてAを中心とした対称形を維持できるようにすればよいわけです。
どんな音列をつくっても必ず現れる対称形という普遍的な法則を用いながら、中心音からシンメトリックに配置されたそれぞれの音高にカノンのリズム、強弱、ニュアンスを巧みに組み合わせることで、音楽が単調な音列の羅列に陥ることを回避しています。構成の美しさと音楽的な表現力とが、わずか数十秒の時間の中にあたかも結晶のように結びついた、ウェーベルンならではの高度な書法を学ぶ格好の教科書と言えましょう。
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鏡像形やカノンを巧みに用いた美しいプロポーション、簡素な譜面の内に豊かな音楽の表情を織り込んだ、この小さな変奏曲に魅せられたピアニストは少なくありません。1964年のグレン・グールドの演奏(こちらは映像も残っています)を嚆矢として、1978年のマウリツィオ・ポリーニ、最近では内田光子やクリスティアン・ツィマーマンといった名手たちの録音を聴くことができます。なかでもポリーニの録音(B00005Q7QZ)は、他にストラヴィンスキー「ペトルーシュカからの3楽章」(バレエ音楽からの作曲家自身による編曲版)、プロコフィエフ「ピアノソナタ第7番」、ブーレーズ「ピアノソナタ第2番」という20世紀の重要なピアノ作品を収めたもので、明晰なアプローチのもとに、技巧的なパッセージでも細部の輪郭を見事に弾き分ける、ポリーニの正確無比なテクニックが冴えわたる名盤です。
ウェーベルンの作品は、きらびやかな装飾や饒舌な語り口とは無縁の、つぶやくような音響の断片と沈黙に満ちた音楽です。そのどこまでもストイックな作風は、調性音楽が持つ華やかな音響の世界に慣れてしまった耳には、余りに素っ気のない、冷たい音楽と受け取られてしまう危険性を孕んでいることは否めません。しかしウェーベルンの関心は、ただ音を知的な操作によって支配することにではなく、その選び抜かれた最小の要素によってどれだけ豊かな音楽を表現できるかにありました。彼の一音一音に対する徹底的なこだわりは、その強弱・奏法・音色・ニュアンスについての詳細を極める指示記号に如実に現れており、これらはそれぞれの音に対し彼がいかに鮮明な(或いは情熱的な)イメージを持っていたかを物語っています。
いみじくも彼の前の世代に当たる後期ロマン派の作曲家たちが望んだように、オーケストラの編成を大きくしてあらゆる音のパラメータを増幅させても、必ずしもそれに伴って音楽の表現が拡大し続けるわけではありません。ごくささやかな音楽のなかにでも、音色の微細な変化に感覚を研ぎ澄ませ、僅かな音の身振りの効果を最大限に引き出すことで、大オーケストラのトゥッティにも匹敵する強い表現力を持つことさえあり得るのです(これは演奏についても大いに言えることだと思います)。
音楽という芸術の可能性は、聴衆を圧倒するようなマクロな表現にだけあるのではなく、そのミクロな表現の内にも実に豊饒な世界が広がっていることを、ウェーベルンの音楽は教えてくれます。
参考資料
Kathryn Bailey「The twelve-note music of Anton Webern」(ed. Cambridge university press)
György Ligeti「Neuf Essais sur la musique」(ed. Contrechamps) III. Aspect du langage musical de Webern