2009/08/02

モーツァルト「弦楽四重奏曲第19番 C-dur kv 465《不協和音》」

ウィーン古典派におけるゆっくりとした導入部はその自由な転調を特徴とし、主部の調性を確保しながらもその周りをめぐる近親調への頻繁な移動がみられます。多くの場合、全終止などの明確なカデンツは回避され、引き延ばされた解決の推進力によって主部を導きます(例としてベートーヴェンの有名な「悲愴」ソナタの序奏を思い出してみましょう。冒頭の和音以降、主部のアレグロまで基本形の主和音は一度もあらわれません)。

モーツァルトの弦楽四重奏曲 KV465 は、この導入部の書法において、最も革新的な地平に達した作品のひとつといえるでしょう。先人の与えた《不協和音》という名が、この僅か22小節のアダージョがもたらした衝撃の大きさを物語っています。大胆かつ巧みな半音階的手法で書かれたこのアダージョは、速筆のモーツァルトが2年の歳月を費やした弦楽四重奏曲集―いわゆる「ハイドン・セット」の最後を飾るに相応しい、モーツァルトの円熟した境地を示しています。
(以下ではこのアダージョの断片的な分析を試みたいと思います。曲全体の楽譜をご覧になりたい方は、こちらからダウンロードできます。)


曲はチェロによる主音Cのオスティナートという一見穏健な書法で開始されますが、3拍目のヴィオラの導入ですぐに曲は調性的に不安定な状態に陥ることになります。Asの介入で耳はチェロのCを主音とみなすことが出来なくなり、f-moll(F・As・C)或いはAs-dur(As・C・Es)の主和音の転回形と考えます。2小節目の1拍目、第2ヴァイオリンがEsで和音に加わり、これでAs-durの主和音(もしくは他の機能を持つ同等の構成音)であることが明らかになりました。しかし、耳がひとつの和音を確定させたその次の瞬間、第1ヴァイオリンが突如としてAというAs-durの和音からかけ離れた音程を奏し、調性感は根底から壊されてしまいます。増一度の関係で隣接するふたつの音程(As・A)が続けて何の準備もなく別の声部・音域にあらわれる(和声学では対斜という語で説明されます)響きのぶつかりは著しく、古典派のスタイルではまず見られない書法です。フェティス*1 をはじめとする19世紀の音楽学者たちは、このAをモーツァルトの書き損じと考え、Asへ修正するべきであると主張しました。古典和声をよく聴き知った耳の、ある意味では当然の拒否反応と言えるでしょう。しかしこれはモーツァルトのきわめて明確なプランのもとに書かれた音で、後述する理由によって書き損じ説は斥けられます。



これは冒頭の3小節の和音を一段譜上に表したものです(便宜上オクターブを変えてあります)。3小節目1拍目の倚音を整理すると、主調のV度に当たるG-durのカデンツが浮かびあがります。つまり冒頭の一見不可解にもみえたAsの和音は、G-durのナポリ6度*2 だったというわけです。ここで彼の音楽学者の説を採用して2小節目2拍目のAをAsに修正してしまうと、ナポリの和音の後のII度7・属7とも構成音のAが下方変位されていることになり、G-durのカデンツとしての(ただでさえ薄い)存在感が減って和声的にさらに不安定な状態に陥ってしまいます。また、修正によって2小節目2拍目と3小節目1拍目にGとAsの短2度がぶつかることにもなります(本来のAsとAは同じ瞬間には鳴っていません)。これは対斜に匹敵するほどの濁りがもたらされることを意味し、響きの点でもこの説を支持することはできません。またこの説に従えば、論理的にゼクエンツである6小節目の第1ヴァイオリンのGもGesの書き損じと考えなくてはならず、これは確率的にみてもちょっとあり得ないことのように思われます。


不安定な和声の上で音楽を構築するために、モーツァルトはここでカノンの手法を援用しました。譜例は第1・第2ヴァイオリン、ヴィオラが最初に奏する音型を同時に並べたものです。ヴィオラの音型を第2ヴァイオリンがV度上で、第1ヴァイオリンが2オクターブ上でほぼ忠実に再現しているのが分かりますね。この「ほぼ忠実に」というのがポイントで、お気づきの通り第1ヴァイオリンはモティーフをそのままなぞっているようでいながら、微妙に音程を変化させています。一見繰り返しのようでいながら違う和声、違う到達点を提示されるため、耳が予想する展開と実際の響きのあいだにねじれが生まれ、音楽の高い緊張感を持続することに成功しています。さらにリズムにも一カ所だけ変化が加えられていますね。それは、第1ヴァイオリンの引き延ばされた最初の音―そう、問題になったあのAです。明らかに特異なこの音程を強調しているこの書法が、単なる書き損じなどではないことを何よりも雄弁に語っています。モーツァルトの熟達した書法と推敲の結実を示す、素晴らしい導入部です。

C-durのV度調であるG-durではじまった曲は、その後F-durのゼクエンツを経て9小節目からEs-durに転調します。Es-durはc-mollの平行調ですのでそのまま自然に(カデンツを作らず)c-mollへと到達し、13小節目においてようやく最初の主調におけるカデンツがあらわれます。


13小節目から14小節目へかけて一応全終止の体裁はとっていますが、属7の根音であるチェロが遅れて出てきたり、本来の和声音が倚音・経過音と同じ音価で、まるで半音階の一部であるかのように処理されてるため、カデンツとしての存在感が著しく弱められています。聴いていてもこの和音をもって緊張の弛緩を得ることはなく、完全な形での終止は16小節目まで持ち越されます。ということは実に15小節(演奏で約1分間)ものあいだ、主調の明確な終止を避けながら音楽をすすめてきたことになります。
一旦主調の半終止が現れると曲はそのままV度の保続に入りますが、ここでもドッペル・ドミナント*4 の減7(Fis・A・C・Es)を用いることで限りなくc-mollに近い状態を保たれています。あからさまな主調C-durの表出はアダージョの最後の瞬間まで抑えられており、次の主部のアレグロのシンプルかつ調和した響きとの間に強烈なコントラストが与えられています。「闇から光へ」といった詩的な言葉で表現されてきたこの導入部から主部へ向かう音楽の効果は、きわめて周到かつ高度な書法によって準備されたものでした。

この22小節のアダージョは、和声的には古典派の語法の範疇で完全に説明可能でありながら、半音階と倚音を多用した対位法的な書法、ゆったりとしたテンポを利用した調性感の「仮設」とその裏切り、絶妙の音色の配置(例えば冒頭のAのショックには、他の3音とまるでかけ離れたヴァイオリンのE線の音色が大きく関与しています)によって、全く新しい響きを獲得しています。完成したひとつの体系を外から突き崩すのではなく、その徹底的な深化によって独自の音楽を創り出した、ひとつの理想的範例と言えましょう。

参考資料
György Ligeti「Neuf Essais sur la musique: II.Convention et originarité, La《dissonance》dans le Quatuor à cordes K.465 de Mozart」(ed. Contrechamps)

脚注
*1 François-Joseph Fétis(1784-1871) はベルギー生まれの作曲家、音楽学者。19世紀の最も影響力のある音楽評論家のひとりとされる。
*2 下属音上の短6度、つまり半音低められた第2音(ここではAs)をさす。スカルラッティなどのナポリ楽派によって愛用されたところからきたとされている(「新音楽辞典」音楽之友社)
*3 ある調の属音上のV度のこと。ここではC-durの属音GからみたV度の和音(D・Fis・A)を指す。


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