「子供の情景 kinderszenen op.15」の成立を知るひとつの手がかりとして、シューマンがのちに妻となるクララ・ヴィークに宛てた手紙の一節* が挙げられます。
・・・以前あなたは、ぼくがときどき子供のように見えると書いたことがありましたね。これはそのあなたのことばへの、音楽による返事のようなものです―手短かに言えば、そうですね、まるでぼく自身が袖の広がったドレスを着ているようなぐあいで *、30曲ほどのおどけた小さな曲を書き、そのなかから12曲を選んで「子供の情景」という題名をつけました。きっとあなたはこれらの曲を楽しんでくれるでしょう。ただそのためには、言うまでもなく、自分がピアノのヴィルトゥオーゾであるということを、あなたは忘れなければなりません・・・ (1838年3月19日、ライプチヒ)
翌1839年に出版された「子供の情景」は13曲からなる曲集ですから、この手紙は、シューマンがこの曲集をまとめる際に、すくなくとも二度にわたって小曲の選択・配置を試みた可能性を示唆します。どの曲が後から加えられたのか―あるいは新たに作曲されたのか―もはや知るすべはありませんが**、もしシューマンがこの曲集をひとつの作品として発表するにあたって何らかの欠如を感じ、そしてそれを補うために1曲を追加したのだとすれば、彼がこの「子供の情景」の全体を、ある大きなひとつの音楽として捉えていたと考えることもできそうです。
では、作品を少し詳しく見ていきましょう。以下が曲集を構成する13の小曲です。
1.見知らぬ国と人々について Von fremden Ländern und Menschen(ト長調)
2.不思議なお話 Kuriose Geschichte(ニ長調)
3.鬼ごっこ Hasche-Mann(ロ短調)
4.おねだり Bittendes Kind(ニ長調)
5.十分に幸せ Glückes genug(ニ長調)
6.重大な出来事 Wichtige Begebenheit(イ長調)
7.トロイメライ(夢) Träumerei(ヘ長調)
8.暖炉のそばで Am Kamin(ヘ長調)
9.木馬の騎士 Ritter vom Steckenpferd(ヘ長調)
10.むきになって Fast zu ernst(嬰ト短調)
11.怖がらせ Fürchtenmachen(ホ短調)
12.眠りに入る子供 Kind im Einschlummern(ホ短調)
13.詩人は語る Der Dichter spricht(ト長調)
まず、それぞれの曲の調関係に注目してみます。
1.見知らぬ国と人々について(ト長調#1)
2.不思議なお話 (ニ長調#2)ト長調のV度調
3.鬼ごっこ (ロ短調#2)ニ長調の平行調
4.おねだり (ニ長調#2)
5.十分に幸せ (ニ長調#2)
6.重大な出来事(イ長調#3)ニ長調のV度調
7.トロイメライ(ヘ長調 b1)
8.暖炉のそばで(ヘ長調 b1)
9.木馬の騎士(ハ長調)ヘ長調のV度調
10.むきになって(嬰ト短調#5)
11.怖がらせ(ホ短調#1)
12.眠りに入る子供(ホ短調#1・中間部ホ長調#4)ホ短調の同主長調
13.詩人は語る(ト長調#1)ホ短調の平行調
各曲の調性を見ていくと、前後の関係がV度調や平行調などの近親調を中心に変化していることが分かり、この曲集の特徴である、曲と曲とのあいだがなめらかに移行していく印象を裏付けています。調性が最初に大きく変化するのは7曲目「トロイメライ」の前で、結果としてこの曲は、それ以前の曲とは異なる、新たな色合いをもった音楽として聴かれることになります。
「トロイメライ」は全13曲のちょうど中央に置かれていることからも、この配置にはシューマン自身の意図が反映されているものと考えられます。
曲と曲のつながりに対する配慮は、旋律の扱い方からも読み取ることができます。
4曲目の「おねだり」は、1曲目と旋律のほとんどを共有しながらも、ニ長調という調性と属9の和音という曖昧な和声感によって、メロディに新しい装いが与えられています。モティーフのストレートな再現や展開ではなく、まるでふと思い出したように旋律が新たな文脈の中にあらわれる手法が、この曲集の統一された音楽の印象を、別の側面から説明しています。
この「おねだり」は最後も属7の和音で結ばれており、終止感のきわめて薄い音楽になっています。なお、曲の終止を曖昧に保つこの書法は、12曲目「眠りに入る子供」にも用いられています(V度からの解決を回避したIV度の転回形による終止)。
ここでは、異なるふたつの曲で旋律の冒頭に同じ音程・リズム関係が見られます。連続している2曲が同じ素材で始まるため、「暖炉のそばで」は、前曲の余韻の中からあらわれてくる印象を聴き手に与えます。
音楽の変化が、共通の素材を利用することで自然な推移として実現されている好例と言えるでしょう。
ほかにも2曲目と6曲目の主題のリズムの構造や、4つの音符からなる順次進行の下降音型など、使われている素材のあいだに多くの関連性が見られ、作品全体のある統一された世界観の表現と、その中を自由に行き来する音楽の軽やかさを可能にしています。
「トロイメライ」にはじまるフラット系長調のグループは3曲で終わり***、シャープ系短調の3曲が続きます。前半では見られなかった大きく隔たった調への移動は、おもに前曲の主音または第三音をそれぞれ後曲の第三音・第五音と見立てる三度調転調によって行われています(6-7 、10-11曲目の関係)。予めできあがっていた調性のはなれた曲同士をつなげるために、シューマンが採用したひとつの方法と考えてもよいかもしれません。
13曲目の「詩人は語る」は、1曲目と同じト長調で書かれており、後半のグループと前半のグループとを「接続」する役割を担っています。古典的なソナタなどの他の形式でも第一楽章と終楽章が同じ調性で書かれますが、ここではやや特別な意図ーより直接的に冒頭へと回帰しようとする指向性があるように思います。「詩人は語る」というタイトルを持ったこの曲が、音楽的にそして標題的にも、1曲目の「見知らぬ国と人々について」へとつながっていく印象を受けるのは、おそらく私だけではないでしょう。ちなみに、原題を英訳するとそれぞれ<13. The Poet speaks>、<1. Of foreign Lands and Peoples>となり、そのまま連続したひとつの文章として成立しています。
シューマンがほぼ同じ時期に作曲した「クライスレリアーナKreisleriana op.16」や「ノヴェレッテ Novellettes op.21」などのいくつかの小曲をまとめた作品、あるいは「子供のためのアルバム Album für die jugend op. 68」などの学習用に書かれた作品においても、この作品の特徴である、調性の変化や曖昧な終止を利用した音楽のなめらかな推移や、旋律やリズムの断片的な共有は見られません。いわば「子供の情景」の音楽は、直線的に進む時間ではなく、循環する時間の中で描かれていると言えるでしょう。
"子供心を描いた、大人のための作品" というシューマン自身のことばは、「思い出す」という行為によって生じる記憶の微妙な変化や結びつき、そして常に充足し且つ閉じている、大人にとってのノスタルジックな「子供の世界」の在り方が、この音楽の構造に生かされていると考えることによって、より味わい深いものになるように思います。
(脚注)
*「The Complete Correspondence of Clara and Robert Schumann vol.1」 (ed.Eva Weissweiler) p.123、英語版からの拙訳。"as if I were wearing a dress with flared sleeves"は、"自分が子供の頃(の服装)に戻ったつもりで" といった意味の比喩でしょうか。
** 手紙の中では以下の曲がタイトルの一例として挙げられているため、少なくともこれらの曲は最初の12曲の中に入っていたようです― 「怖がらせ」 「暖炉のそばで」 「鬼ごっこ」 「おねだり」 「木馬の騎士」 「見知らぬ国と人々について」 「不思議なお話」
***「木馬の騎士」はハ長調で書かれていますが、後半に経過的なヘ長調を経たニ短調のカデンツがあり、耳はフラット系の印象を受けます。
2009/07/04
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